2019年2月27日

日本の理学部では後自然学の基本が教えられていない説

人文科学は普遍的な部分と個別的な部分があり、この種の植民地主義を前提にした欧米中心教義はポストモダン以前に疑義されて既に過去の考えになっている。比較文化論の興隆以後、人文科学の今日の世界では、或る文化を「先進・後進」といった単純な二分法で語る進歩史観自体が旧態的なものとみなせる。
 なおこのこと(人文科学の世界で自文化中心主義や、植民地主義的な欧米中心教義が見直されているか、既に否定されてきたこと)は日本に限っての話ではなく先進国以外でも同様である。それと自然科学の分野で日本が「先進的」といえるとは私は余り思わないが。自然科学の分野はそれなりに細分化されているし、各国の(或いは多国籍の人や多国間含め各個人の)研究で、他に比べ進んでいる点もそうでない点もあるだろう。自然科学上の発見を国に属すると考えるのは、大いに間違っている。
 なぜ国内で理科の専門教育を主に受けている人って、人文科学系の思考様式や発展形態を自然科学主義の手法でそのまま解釈できると早計する人がかなり多いのか? 逆は殆ど無い様に見えるけど。国内の理学部では、人文科学の基本的なことを教えてないか、教わらなくても卒業できてしまうのか?
 理系馬鹿と呼べるタイプは、自分達の科学主義・科学教の教義としての実証主義とか反証主義が普遍的で唯一絶対の確信をもてる信条だ、と思い込んでいる人が極めて多くて、この意味では新興宗教に全くふさわしい態度を示していて、殆ど排他的に自然科学を崇拝している。
 中世頃に既にカントがいっていたよう、自然科学の中からは永遠に後自然学に属する理念はでてこないわけだから、自然学のメタ学問について気づいてすらいない、気づかない上に下部の学で上部の学すべてを補えると妄想しているのは理学部だか自然科学系の学部の専門教育が間違ってる証拠だよ。理系馬鹿はただの愚か者だから相手にしなければいい、というのが基本的対処なんだろうけど、その人達が社会で或る程度の地位をもちだすと、彼らの狂信的な自然科学崇拝で多くの不道徳を世間におしつけ始めるだろうから、極めて公害度の高い愚者だな。
 より正確には、理科の専門教育を主に受けている人じゃなくて、「国内で」理科の専門教育を主に受けている人に、後自然学を殆ど認知も重視もしていない極端な自然科学主義者が多い様に見える。日本国内では理学部卒業に必要な科目に、人文科学の基本が含まれていないという理解でいいのだろうか。