2019年2月7日

七輪タトゥー嫌味事件から分析するいけず文化と自製和語について

アリアナ・グランデ氏の七輪タトゥー嫌味事件に宛てて)
ほらみたことか。七輪の語源はどうやら七厘のようで、同音異義語が定着しただけだったろうに。7つの輪(英語で指輪も輪、ringだ)って普通に漢字で七輪だろう。意地悪か無知な日本女1人のせいで親日家を1人失った。某匿名ツイッターアカウントの中の人はさっさと謝罪すべき。まあ日本女が京女を代表として、とんでもなく陰湿ないけず集団だってのはこれでアリアナ・グランデもよくわかったろうし、こんな案件より遥かにひどい現場を沢山見る羽目にもなったろうから、これでよかったのかも。現実の日本人達の暗雲垂れ込める下賎さを知らず外から見る日本はさぞ美しいだろうよ。七輪ネタでアリアナグランデをからかったやつが本当に日本人女かも知らないが。
 ただ語源まで理解する様な知性のある日本女というのは先ずお目にかかったこともないし、そもそも他国民が一生懸命、日本語を学ぼうとすることを細かく難癖つけず、励ます様な基本的な国際良識ももちあわせてないよな、女に限らず一般日本人。日本語文法すら知らないくせに。語学でも減点法ばかり。欧米フェミニストのMe too運動をまねるのはいいが、現実の日本女が陰湿にいけずだかいじりだかで外人虐めやってるのは傍ら痛い。京女風排外主義の変種でしょう。日本女は、女子力とかいう日本女固有のフェミニズムと正反対な欧米フェミニズムとの二重基準とか、今後どうするつもりなんだろう?
 俺は男として生まれたから、女子力と欧米フェミニズムとの矛盾とかに対処してる暇ないんで、あと京女的陰湿さをもっと開けた国際社会にどうあわせていくかとか、日本女自身で考えてもらいたい。七輪虐めにみられる陰険さは日本女によくある重大な欠陥だよ。
 この問題についてもっと深く考えてみる。思うに京女に代表されるこういう陰湿ないけずって、日本女の一部がもっている排外主義の実践を、嫌味という憎悪表現で行うためのものだったんじゃないか?
京女「シチリンってグリルって意味なんやで(ククク、と陰険に笑う)。日本語ならセブン・リングスは、七つの指輪って書くのとちゃいますやろか(袖で口を覆い、陰湿な笑みを隠す)」
戯画化するとこういう公家的な嫌味の風習が、たまたま外人に向けられただけで、日本人に対しても京女はやってくる。
 本質的に日本語に大して詳しくなりようもない外人が、七つの輪を意味する漢字の同音異義語なんてわかるはずもないと誰でも気づくし、性格のよい日本人なら別にそんな指摘わざわざする必要も感じないだろう。「確かに漢字だとこうなる。シチリンには別の意味もあるけどね、日本語では」ってくらいだ。
 なぜ京女の中で排外主義的な憎悪表現が、陰湿ないけずという様式に進化したかというと、公家の婉曲表現という特有の上品さをまねたからだ。ぶぶづけ伝説が典型で、ぶぶづけは京都弁でお茶漬けのことで、これを出してゆっくりしていってねっていう時、暗に早く帰れと逆の意味を示しているという件。ところが嘗ての宮廷官僚同士が相手の誇りを傷つけずに物を伝える為に発達したところに原因があったこの婉曲表現の風習は、京都市民の中で陳腐化した。すなわち京の庶民の間で、相手に気づかれず裏の意味を受けとりあえる仲間内の単なる嫌味に応用されるようになってしまった。
 元々排外主義は偏見に由来する為、京都市民(特に上京区、自称洛中の人達)が外来者を排除しようとする嫌味、すなわち「いけず」は、決して上品なものでも賢明なものでもない。しかしかなりの京都人達はこの風儀を自文化の固有で高貴な証拠とさえ思い込んでいる節があって、中華的自意識を反省しない。さらに日本人一般は有名な観光地でもある古都のいけず風儀が、とうに平安期に貴族性を失い堕落したものだとまだ十分気づいていない。また武士が貴族だった関東(今日の首都圏)に比べ、平安朝では女官が後宮文化を作っていたこともあり、特に日本人女性の間で偽貴族(いわゆるsnob)のやり口としていけず的な嫌味の風習が正当化され、いまだに模倣されあっているのではないか。
 京都人(狭義で洛中人、広義で京都府民など京文化の影響を受けた人)が他人を攻撃しようとするとき、京都人自身が社会的に地位のある人であった場合は、しばしば回りくどい言い方で婉曲的に相手を腐そうとする。七輪タトゥーを揶揄した人が使っていた手法は、ほぼこれと同一のものだと思う。
 七輪は七厘の同音異義語というのが基本的語源説な上に、漢語で7つの輪を示したければ七輪で合っている為、基本的に誤解か曲解している前提の上で、ある人が「あなたは日本語をまだろくに知りませんね」と外人に言おうとする目的で「それはグリルのことだよ(その他の場合はわざと教えない)」と言う。七輪タトゥーを揶揄した匿名アカウントの中の人自身は、恐らくそこまで理性的に考え発言したのではなく、単に知恵が足りなくて七輪は某グリルと等号で結べる(多義語でない)固有名詞だと思い込んでいたのだろうが、その背後には、嫌味な言い回しを上品かのよう言いつくろういけずの文化があると思う。
『徒然草』第百四十一段で「関東人こそ言ったことは頼みになるが、京都人は返事だけよいが誠実でない」と当時の関東人が嘆く場面が描かれている。会話していたもと関東人の尭蓮上人は「京都人は心が柔らかく情けがあるため断りきれないが、貧しいため本意を叶えられない」といけず文化を分析している。この尭蓮上人の説はいけず文化を好意的・肯定的に評価した場合で、都会の軽薄さの中にある建前の使い道を随分かたよって弁護している様に思う。現実のいけず文化の中では、婉曲表現の一種である建前の嘘を、今回の七輪タトゥー嫌味事件みたいに悪用する場合も多くみられるのだから。
 外国人がしばしば使う自製和語、つまり変な日本語の典型例として、ブランド名「極度乾燥しなさい」がある。こういうのは世界中どこでも多少あれある外来語混成の結果で、和製英語や和製漢語が米英や中国とは全然違う意味に使われているのは皆しっていることだ。日本の漢字自体が中国語の変な真似かたからできているのだから、揶揄するというなら自国の異様な中国語もどき全てを自嘲すべきだったのではないか? なぜ外国人が独自の解釈で日本語を好きに使ってはいけないのか。寧ろ楽しい変成の経過として興味深く観察すべきだと私は思うが。
 語源まで理解する様な知性のある日本女に先ずお目にかかったこともない、と書いた。現実にそういう日本女性がいたら、最初にアリアナグランデからかった日本女風の匿名アカウントへ直接、または公的に注意すべきじゃないか? 僕は既に直接注意したけど、なぜ日本女性は僕より先にやってくれないのか。外国人を多義語を悪用して虐めてる様な同国人、しかも匿名アカウントって、極めて陰湿だと思う。たまたま女っぽい匿名アカウントだったが、男性であれ女性であれ、語彙の非対称性を乱用し無知な側を嘲弄した結果、恨みに思った反日を生み出すって、相手の影響力からしても完全に国家的損失じゃないの?
 最後に書いておくが、「語源まで理解する様な知性のある日本女」は、必ずや現実のどこかにいるのだろう。自分が寡聞で知らないだけだろう。当然、自分より賢く誠実で、世界市民的な女性も日本人中に多数いるに違いない。どうかそういう女性が社会に出てきて、大いに活躍し、下衆な虐めを退けて欲しい。知性的でからっとしていて陽気で、いじめには毅然と反旗を翻し積極的に注意するタイプの日本女性、こういう類型の真逆の類型が、国内で非常に多いのは経験的には事実だと感じる。ばかのふりをしネチネチと陰湿で虐めを進んで主導するか同調圧力に巻かれるタイプが接した日本女のほぼ全員だったので。自分が日本女性を単純化し差別していないか、ただの偏見でないかに十分注意する必要があるから、この日本女の類型化論については、今後、進んで例外を見つけ出すことにする。自分がいいたいのは、日本人女性一般は、虐めをやめてくれということだ。今回の様な外人いじめは陰湿で、みていて気分が悪い。
 更に考えた。日本人男性でも、或いは自分がみた限りイギリス人にも、こういう陰湿ないじめをするやつは確かにいる。自分がなんで日本男をここで特に責めなかったかというと、自分はそういういじめを大いに反省し憎んでもいるので、進んで打ち負かそうとするからだ。下衆な同調圧力に負けるやつが悪い。たまたま今回は女匿名アカウントだっただけで、いじめをするやつは何国民だろうと何性だろうと公害だろう。少なくとも日本女にとって模範となるよう、日本男児は進んでいじめを打ち負かす勇気を持たねばならない。たとえそれで自分が標的になって倒れようが、進んで虐めと戦うようでなければいけない。