某氏が北海道をやたら礼賛しだしてなんか激しい違和感を感じてたら、大地震がきた。でもまだ自分の中で違和感が終わらない。某氏が誰かを「何の理由もなく」「突然」ほめるなんて、明らかにおかしい。一般に人は自分の利益の為に行動するとしたら、背後にその人への利益が用意されていなければならない(普段から利他的な人を除く)。
大地震は偶然だろうけど、某氏の北海道礼賛はなんらかの利益誘導がありげな感じがする。勿論それが全くないとしても、自分の中に強烈な違和感だけは残る。一体なんの違和感なのか、これは。
(茂木健一郎氏のツイッターアカウントへ)なぜ北海道を突然べた褒めしだしたのですか?
禍福は糾える縄の如し、といいます。
茂木氏らがハッシュタグのブームと重なってか猛烈に北海道を礼賛していた時、私個人は猛烈な違和感を感じていたのですが、既に人気観光地で魅力が知れ渡っている北海道をさらに「過剰評価」することは、他都府県を間接的に過小評価することになってしまいます。私は日本国民全体から、その魅力が最も過小評価されている茨城県で生まれ育っているので余計そうみえるのでしょうが、誰かを必要以上に褒めることは、婉曲的に、誰かを貶すことと同じなのですよ。
(君主の)善行も悪行と同じくらい怨みを買いやすい、とマキャベリが『君主論』でいっています。
茂木氏らがこの間、北海道をあまりに褒めすぎているのを眺めていて、私個人は北海道に以前からもっていた良好なイメージがその種の宣伝によるバイアスだと気づき、疑う様になってしまいました。褒め殺しは逆効果になる。
大地震は偶然によるでしょうが、影響力の乱用は強い副作用をもってます。
多分、魅力という主観的偏見において、北海道を過剰評価し、対極的に茨城県を過小評価する、という日本人に特有の集合的メディア意識の様なものが、自分にとって強烈な違和感の文化素(ミーム)なのだろう。この種の大衆的な趣味、低俗な観光意識が自分にはなんらかの悪徳性を迫ってくるのだろう。
投資家としても芸術家としても、疑わしい大衆意識の真逆を進むことが利益の源泉であり、徳なのはほぼ確かだ。
現時点で魅力という主観的バイアスに関して、北海道の汚点や茨城県の美質に気づいている、ということがこの為の必要条件だから、自分の中で某氏の煽りが猛烈な違和感を伴っていた様だ。