2019年2月17日

ツイッターの使い道は自分と違う意見を自己反省の契機とすること

興味も絡むつもりもない純粋な第三者というべき相手をカジュアルブロッカーがなぜかブロックしてるのを見ると、ドラえもんの独裁スイッチそのものだ。反面教師として有益だとわかった。この点で、茂木健一郎氏や堀江貴文氏の意見(不都合な意見を見る為ブロックしない)が、おおよそ正しいと分かった。
 ツイッターの問題は下品で卑しい情報をばらまくアカウントをどう扱うかだ。その種の情報は精神に害があるし、認知力を浪費する。その種のアカウントをフォローもしなければ、リストにも入れなければいい。
  一方、子供がツイッターを使うのは危険だ。尊卑の判定が大人ほど適切にできないからだ。子供は悪徳をもつ人々も大勢フォロワーがいるのを見て信用し、下品なアカウント情報を目にし、しばしばまねてしまうことになるだろう。だから子供にツイッターを使わせるにはiPhoneにある17+の未成年向け設定など、フィルタリングしてから情報機器を渡すべきだろう。それをしていない場合、品性の教育に有害な場合がある。
 カジュアルブロッカーの逆の方が有徳なら、できるだけ広く自分の意見の逆の類型を進んで集め、それらが自分の意見より正しいかどうかを常に検討し直す必要があることになる。
 大人の場合は、品性にもとると疑われる相手の意見も十分に再検討し直し、その正当性の有無を自己反省しなければならない。この意味で世間におもねることなく、自分と異なる他者の意見を常に参考にしつつ、忠告や批判を自らを省みるきっかけにするという本来の意味で、世論を味方にしていくのがよい。