2019年1月6日

日本の天皇制に適応した少子化と革命による共和政の樹立

自民の政治屋が権力を寡占し、薩長寡頭政やら天皇制による世襲独裁を延長させたいが為に奴隷化した信者(つまり日本国民一般)に子孫を殖やせと命じる。なるほど、この様な非人道国家体制が延長する意義も価値もないのは明白でしかない。その衆愚政の悪意に媚を売り、自らの搾取権益を拡大しようとする企業経営者やら株屋、取引屋、彼らに寄生しながら更なる経済弱者である清貧な諸職業、無職、NEETを差別したり攻撃して暮らす卑しい労働階級全般、この様な愚民らも同罪でしかない。だから少子化は、ゴータマ・シッダールタの考えていた通りの文脈で、文明化の必然として皇室を頂点とする支配階級の贅沢や一般国民の隷属的輪廻、即ち(吉田松陰が中華皇帝を援用し幕藩体制を否定する為に用いた一君万民論を理論的根拠とする)国民奴隷制を目指す悪意に対する適応である。
 この国に於ける階級制度は、永遠独裁の為に無限の自己崇拝を宣う教祖に納税を強要する邪教、即ち天皇制にぶら下がる諸信者を、天皇の為の神道政治に役立つ奴隷化の度合いで整列させているのだが、勿論これ自体が虚妄と悪意ある中華皇帝ゲームの模倣でしかなく、児戯に値する。自民党の神道政治屋共は単なる経団連企業と癒着した利権団体というだけでなく、国民全般の無知につけこんだ洗脳を狂信的に目的視している始末である。いうまでもないことだが、天皇は大量殺人と世襲独裁をくり返してきた極悪人の移民一族でしかないのだし、先住民弾圧をはじめとし国内外の諸民族、諸人類に与えてきた迫害と現在も続く搾取と言論・身体的脅迫や暴力を含む弾圧の激しさは悪の大魔王そのものでしかない。日本の先住権をもたない、弥生系移民として、天皇の歴史は縄文時代以前には何もないのだし、神道に於ける王権神授説自体は論駁するまでもなく幼稚な虚構である。
 日本国が真の共和国となり、国民自身による自らを含む諸国民の為の万民平等の新政府を、一切の天皇皇族の遺物なしに再開するまで、この国で先住権や移民の権利を弾圧されてきた諸民族、諸個人は何ら救われず、それどころか天皇が(違憲立法の退位法を強要したり、交通制度を破壊したり、国税を乱用しながら搾取し、国土を簒奪する様な)絶対権力を象徴という憲法上の偽装でごまかしながら保有し続けているからには、一般の日本国民には真の主権はないのである。勿論その様な基本的人権、たとえば経済的に無力な我々の生存権すら象徴天皇政による弾圧の前で保障されない日本人、或いは日本に暮らす諸国民にとって、この国は自民党という建前の組織に隠れて多数派の横暴による集団的暴力を振るう神道信者による不幸な体制足らざるを得ない。即ち平成時点の日本国は、個々人が天皇になけなしの税を貢納する為の奴隷化を免れない、自由な個人にとって地獄の地なのである。
 我々自身がこの国の生存で、政治的にも経済的にも最も救われ、最も幸福に、裕福になりうるのでなければ、どうして日本国民として生を延長する事が喜ばしいのだろう。天皇なしの政府が縄文時代以前の数万年にわたる真の伝統に基づく日本政府であるから、天皇皇族という侵略犯罪者らに歪められた体制を完全に破壊し尽くす事、後、米軍、GHQ、その他、政教癒着の悪しき神道勢力たる自民党勢なしの国民自身によって国民自身の幸福を最大化する為の共和国を建設することが、日本国を再生し、国政を経済的、文化的、政治的に正道に戻す唯一の道のりである。こうしてようやく卑しい差別主義の弥生民族宗教でしかない神道勢が完全に国政の全局面から打破され、諸国民に対する差別や、アイヌ、琉球・沖縄人、旧縄文人の末裔といった多岐に渡る国内諸民族、或いは経済弱者、地域差別を受けている田舎、田園地帯の住民、或いは天皇に洗脳された横柄で悪質な公務員から不利で不当な待遇を受けている人々、弱くとも善良な立場にある全ての人々が救われるのである。生まれ来ることが正義で、日本国民自身の喜びと幸福の享受、その増進に役立つ状態になってはじめて、解決されるべくして少子化はひとりでに解消する。搾取からの解放という、階級のない税の公平な再配分・調整を含み、国民の中でより不利な立場の者の幸福を最大化せんとする社民主義に於ける諸公徳(ロールズの正義)は、天皇皇族、薩長寡頭政の担い手、自民党員、これらの自称支配階級に国民全体の奉仕者たる立場でありながら自ら意地汚く臣従し愚民観を以て国民の自由を弾圧する官尊民卑の悪徳官僚・公務員らが絶滅してこそ、目の前に国民自身しかいなくなり政治上で国民一般の理解に遇するからだ。