2019年1月14日

都民による原発公害に対してのさえずり集

都民は二度と原発を動かさないでください。田舎に住む人々の犠牲のもとの光です。日本原電も東電も都内の都民による会社ですが、原発は我々の住む田舎におしつけられています。他人を公害で死ぬほど苦しめしながら神に祝福されるというのは大いなる矛盾だと思います。
 もし神がいるのなら、聖書の中で何度も罪深い人類を滅ぼしたように、東京都民に対しても罰を与えるはずです。東電・日本原電を構成する都民による原発事故の被害で我々はこれほど苦しめられ、痛めつけられ、差別で毎日傷つけられているのに、神がその極悪人たちを祝福するとでもいうのでしょうか?
 本当に祝福されるべきなのはこの写真に写っている人々が原発による公害で日々犠牲にしている、茨城県、福島県、新潟県、青森県の人々だと思います。イエスは分け隔てのない博愛を語るでしょう。しかし神までもがそうするでしょうか? 悪が救われ善は虐げられたままなのですか?
 私は原発事故から7年間以上、原発による公害や風評被害、都民による差別、それに同調する人々の誹謗中傷などでおよそ筆舌に尽くせぬほど苦しんできました。これまで聖書に書いてある神による復讐を信じ、私自身は罪びとである都民を直接裁いてきませんでした。神父は神の味方ではないのですか。
 ローマ人への手紙12:19『自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それはこう書いてあるからです。「復讐は私のする事である。私が報いをする、と主は言われる」』私や私の故郷への都民による大公害、そして何度も受けた差別。私は寧ろ都民を助けてきました。主の復讐を私は信じています。