2018年10月24日

資本主義世界秩序の批判

労働階級や、労働主義者(企業の被雇用者として労働する事を至高、もしくは普通の価値観とみなし、それ以外を蔑視する集団)らの信じている社会秩序は、確かに奴隷生活への自己適応でしかない。これは公務員という邪教暴力団(皇室)の手先をしている労働者らも例外ではない。そして多少なりとも知的な人間は、彼らの生態を客観視しこの様な奴隷生活を侮蔑するに違いないので、必ずや資本家になる。我々にとってこの様な必然の過程が、弁証法的展開である。支配階級としての資本家は、奴隷階級としての労働者を無知で、衆愚なままにした方が好都合だと気づき、ナショナリストや愛国者、保守主義者、マスメディア、ネットメディアといった分かり易い愚民洗脳装置を利用し、各国の奴隷制に諸国民を縛りつけておこうとする。この結果、世界はグローバリスト、自由至上主義者らと、それ以外の付加価値生産の奴隷たる労働階級に分離されていく。そして奴隷自身はこの秩序を正義と信じて疑わない。なぜならその衆愚は見事に洗脳されきった家畜・社畜・国畜であり、自分達の搾取される為の労働生活が最高の幸福だと完全に思い込み、その外にある生活を無意識に差別する様にしつけられているからだ。
 この種の構造に悪意がないとはいいがたいが、その国畜製造の悪意の最たる存在である皇室は、邪教によって自己崇拝させ、国畜奴隷らをこっ酷く搾取しながらあがめさせるだけの暴力を、政府として独占している。しかもこの邪教祖らは偽善の口舌を極度に巧妙にしているので、国畜奴隷が喜ぶ言い方で、奴隷階級をおおみたからなどと褒めそやすので、奴隷の方は自分から土下座し、天皇一派を陛下と呼び平伏するほどだ。けれどもこの皇室と自称する極悪宗教家の悪意に対して、奴隷階級自身の無知にとどまりつつ同調圧力で自国民を自らと同じ不幸な奴隷にしたてあげようとする悪意や、資本家らがこれらの衆愚を利用しようとする悪意も、軽視できるものではない。
 資本主義的世界秩序とは一面からはこの様に実に醜悪なものでしかないが、それを肯定的に見ようとする人にとって需給の一致を実現するという麗しい理念は実に欺瞞的である。その欺瞞は資本主義・自由主義信者を完全にあざむききっているので、彼らにとって衆愚である労働階級も、国家の暴力団員である政府の構成員も、いずれも敵となる。
 彼らは資本主義秩序以外を差別し、蔑視する様に自己洗脳をくり返しているので、そこでの成功、例えば社民主義における幸福度の上昇や、共産主義の一国二制度における経済的上昇を兎角口撃し、反省する事はない。要するにこれらの自由主義陣営を自称する衆愚は、凶悪な奴隷制を世界中に流布しようというだけなのだ。しかもその考え方は彼らがしばしば陰謀論の的にするユダヤ教的選民思想等に向け換えられるとはいえ、根底的には彼ら自身の邪悪さ、自己中心な利己心に由来しているのである。
 したがって今日の知識人が多少なり良識的なら、この様な資本主義秩序、そこには自由主義、修正資本主義、神道、皇室、自民党政府、企業、市場、労働者、貨幣経済などこれらすべてが含まれるが、それ自体を疑義するべきであり、決して保守とか現状維持とかで現実逃避したり、あるいは明治信者のよう過去の愚かだったあらゆる時代を美化し退行したり、妄執的に自称先進国の衆愚に同調し自己正当化すべきではない。寧ろ非資本主義的・非自由主義的なあらゆる世界秩序の美質や利点に目を開き、そこから学ぶことが必須である。