2018年9月6日

サイコパスの幸福についての分析

サイコパス(サイコ)は良心の欠如をなぜか知性の証拠と思い込む場合がある。が当然、良心に関する道徳的知能は知性の一種である。
 サイコは「利己的でずるく生きること」を、「利他的で幸福に値する人、愛されるべき人として生きること」より、当然のように重視する。だが、より幸福なのは他人から愛される人であって、害他的で憎まれる人ではない。
 サイコの社会的な幸福は、良心がみえないことによるある種の倫理的盲目さの中で、自己利益を目的とする仮言命法的な偽善を演じる技術にとどまる。偽善者の幸福と、真の善人の幸福は、前者が利己を目的にし、後者が利他を目的にするところがことなるが、サイコにとって良心は盲点なので、良心の満足による幸福はえられない。
 サイコの有害さを避けるには、彼らが偽善的にふるまう利益を示すべきだが、彼らに利他的な自己犠牲による自己満足という偽善の極度を理解させるのは難しく、結局、一定の距離をおいて彼らの公害を避けるのが賢明である。
 サイコの社会的な最高幸福は「名誉感情」としての偽善を完成させることに求まるだろう。己自身への名誉という観点からなら、利他性の意味を自己利益の目線で理解できるからだ。