愚か者や卑しい人にとって尊い人が何を考えているかは想像の外にあり、決して彼ら単体で美徳に思い至る事はない。
サイコパスは良心をもたないのだが、そのこと自体にサイコパス自身は疑問も持ちえないし、逆に善人を愚者と誤認さえする。一般人や善人はサイコパスと関わると、専ら被害者となりがちだ。単に実際の愚者には利己主義者とサイコパスの違いがみわけられない。すなわちサイコパスには良心が盲点でそれ単体の究極目的をみてとりえないという特殊さを、ただ良心がありながら利他的にふるまえない卑怯者と、愚者は区別できない。サイコパス自身に仮言命法や相利性は利己の手段としか捉ええず、自己本位な利己性しか目的視しえないので、もともと善の定義というべき定言命法側の倫理的世界観を仮にサイコパスがみてとっても理解できず、逆に愚かさの印と思い込みやすい。
卑しい人はサイコパスと重なることも多いが、本質的には、悪習により害他的なふるまいや、自害的悪徳を身につけてしまっている人である。