幸福を求め不幸を避けよう。この基本原理に背く人が実に多く、自ら踏み行うのも難しい。労働崇拝を中心とした日本教の洗脳は皇族という特権階級に都合よく人々を支配すべく、たとえ個人が不幸でも自他を奴隷化するよう強いる。だが人生を好転させるのは唯一、幸福追求権だけだ。
他人の不幸を願う人は最後まで救われない。が元々その種の人は幸福追求していない。彼らは自他どちらかに幸福を避けさせ、不幸を求めさせている。この様な人には不幸さを寧ろ自虐的快楽と感じている人もいて、苦痛や有害さをも追求している。
幸福になるにはそれに値する人になるのが前提条件である。実際、幸福を得るにふさわしくない人はそれがやってきても重要さに気づかず、素通りしてしまう。
幸福は少数者に宿る。そして人間関係を限定するほど、集中し高まる。