搾取でしか人は裕福になれないので、それを勤勉さで偽装しても同じ憎しみは買う。蓄財が敬われるのはそれが当の他人へ利益をもたらす場合だけだが、そもそも或る富者から寄付や分け前をもらったばあい多少なり緩和されるのを除けば、誰かが成金自慢をしているのは不快でしかないだろう。つまり裕福さが有益なのは、単にその個人にとっての事でしかない。故に清貧を装ったり、消費生活について質素に留まろうとする事が、再投資の合理性を除いても富者にとってさえ処世上の知恵なのだ。他方で顕示的消費や浪費癖からくる成金趣味があるからこそ高級品の需要や奉仕の質がもたらされるので、奢侈自体は放任されるべきだ。そもそも富裕度に応じてつつましさの最低限度も向上していく。