2018年8月3日

富の中庸さ

死を恐れ生にしがみつく人は、死を恐れぬ人より醜い。特に老人においてこれは顕著である。死後にさっぱりしたと思われる人は、元々しぬのが遅すぎた。守銭奴の老人は単に憎まれるのみならず一刻も早い死を願われるだけの存在なので、諸々の老害性の中でも最大に卑しい。高徳な老人は、若者の方がより一層必要とする物を何も奪わず、むしろ誰もに有益でしかないのでひとりでに敬われ、長寿を願われる。
  若いうちに蓄財をめざして知恵を得なかった人は、単に若い間にも軽蔑されているが、年を重ねるほどその傾向は顕著になる。ある人が富の寡占で敬意を表されるのは、それが他者にとって何らかの有益さをもたらす場合だけであり、他者に必要で有限な資源の独占度に応じてその人は憎まれる。
 人生で若いうちにえるべき獲得物と、老年後に重要なそれとは大きく異なっているが、少なくともどの時期でも他者と比べた過度の金銭上の寡占はうらみを買う為に不幸の原因となる。一方で大抵の老年が不足し、それゆえ邪慳にされる原因となる知恵、特に人徳に関わる部分は、学ぶゆとりがある若いうちに集め始めねばならない。必要な消費量のゆえ中年が最も蓄財度が他者から相対的に高くても憎まれづらい。
 幸福の殆どは身近で親密な人から直接もたらされる自己が愛されているという確信から来るので、この様な目的にたがう行動は厳に慎むべきだが、その最たる部分が資本主義傾向の社会では個人のもつ富への中庸さにある。憎しみは質素の閾値を超えて贅沢に近づくほど受け易くなるのだから、各年齢にふさわしい知恵を用いて貪欲を戒めるべきである。資本主義者が無限の貪りを営利企業で斯くある如く目的視しているとすれば、その人は資源を最適配分する為の市場秩序を、個人の幸福度と誤認しているに過ぎない。