2018年8月13日

教授と研究の違い

愚者を啓蒙する様な形で学術を発表するのは実際に多少あれ愚者に近い者にしか巧くこなせるものではない。優れた教育者や解説者には特有の才能があり、必ずしも研究者自身がそれをもちあわせてはおらず、又もちあわせている必要もない。限られた資源を2つ以上の能力に分散するのは個々の分野にとって減衰力として働くので、教育に力を費やすのは研究のみに集中するより一般に効率が悪い。教うるは学ぶの半ばなりとか、教える事で記憶の定着率があがったり理解度が深まったりするという面や、複数分野を習う相互参照性の中で相乗効果や創発のきっかけになる場合もあるとして、これらも専門性のもつ研究の効率を通常は否定しないと思われる。
 超一流の研究者が一般向け解説者や通俗書を著す者を嫌うのは上述の理由からであり、全てが権威主義や人気からくる俗受け、稼いだ金への嫉妬のみではない。俗物根性と呼べる側面は学術的に全く意味のないものだから、二流以下の研究者しか持ちあわせていないだろう。
 教授が当代の学術で超一流な事は、教育や指導の手間がかかる以上、ほぼありそうにない。