鈴木雄介ブログ
2018年8月3日
蓄財度
単に交換価値にすぎないようなものが知恵自体より貴重だと思うなら、現にそれを知恵にかえてみるべきだろう。ダヴィンチがいう通り、若年の内に得るべきものが枯渇した老年は悲惨である。徳なき老人が守銭奴であれば世間から倍の怨嗟が襲ってくるし、搾取の罪に気づかず利己心のみで貯蓄や利殖に励む若害は、単に来たるべき老害の前座でしかない。我々は人徳を含む知恵によって尊卑に分かれるのだから、蓄財度は知恵を得るのにふさわしい中庸さにおいてしか評価しえない。
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