鈴木雄介ブログ
2018年7月8日
第一人者
人格の完成が最高幸福の原型だと悟る人は、自らが富裕であるかを気にせず、絶えず清貧を保っているかに最大の気をつかうべきだろう。そして質素さを俗物から軽蔑なり差別された時、それを自分が人格的完成に一歩ずつ近づいている証だと考えていい。有り余る資産も最後には慈善にしか使いようがない。人々からのねたみや憎悪の眼差しが耐えがたくなって漸く寄付の意義を学びだす貪欲という名のついた大通り、その実、迂回路を辿る苦労人に比べ、はじめから無欲という小さな門より入る人こそ聖徳の第一人者である。
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