2018年5月6日

社交について

私は多くの人と関わったがどれも大変無意義だった。社交は人を愚かにする手段である。わが社交の殆ど全ては、愚物悪人に嫌悪を覚えた記憶で埋め尽くされ、人間の本性をみるほど人間嫌いを増幅するばかりであった。社交を喜んでいる人をみたら、その人は疑いようもなく愚物か悪人かいずれかだ。愚物は会う人全てが自分より賢いからだし、悪人は他人を利用価値でしか見ないから。
 ゴータマがそう主張していた通り、聖人は人間を避けてくらす他ない。自分に徳で劣る人類は有害さしかないからだ。聖人の集まる町は極力社交の手間なく、ごく平穏だろう。都会に衆愚や悪党がたかっているのはこの様な理由によってもいる。暗愚な都会人が田舎蔑視するのは彼ら自身が底無しに愚昧で悪辣だからだ。ダニング・クルーガー効果が示すよう傲慢は愚かさの証である。