2018年1月9日

少数者の啓蒙について

日本国という地獄で、邪教祖の天皇が不幸と差別を増産していく。関西地方や東京神奈川にたかった極悪衆愚が日々、悪業を重ねて悪意と搾取をまきちらす。これほど最悪の社会に憧れるという愚かさ極まりない下衆な外人と、悪趣味で無知な西日本の弥生系蛮族。
 情報技術がみせている最悪の姿は、卑しさ極まりない傲慢な自称日本人達の真相であり、一部の外国人らの破滅的な愚かさである。だから、情報一般が人を幸せには決してしない。だがこれら胸をえぐる様に醜悪な日本国という地獄のありさまをしらずに、自画自賛している愚者の生は理想的だろうか。真実から目を背けず、この最悪の差別衆愚国家を完全に解体し、極悪の日本人衆愚や愚かな外国人を啓蒙し、実際に差別をなくし、集団虐待や悪意を好む弥生系移民の性悪な血筋を淘汰で減退させ、邪教祖天皇家や邪教神道を完全廃絶させるべきであろう。
 悪意の情報は人々を騙し、東京都民や関西人が日々やっている類いの偏見、差別、自己に有利で他者に不利になるような虚偽と印象操作、マスメディアや政府を使った集団洗脳、衆愚を扇動することによる愚民化などをもたらした。都会の暗面をしらない地方の一部の愚者、日本の裏側をしらない愚かな外人は、彼ら自身の節操のない無邪気な悪に加え、偽善の独裁者天皇の洗脳にあった被害者でもある。そして確かにこれらの人々は己の業により破滅に値する。しかし全ての情報がこれら愚なのではない。真実を啓蒙すること。人々を道徳的に、より理解深く利他的な共感性が高い段階へ導くこと。つまり人類を少なくとも改善する、真に価値のある情報が存在する。
 情報の一切とは我々の感覚が認知できる、世界の一切を意味し、この情報環境次第で人類の一生が決まりもする。劣悪な情報にしか触れていない人々に、善良で倫理的な真実の情報をもたらす機会を作り出すことは意義がある。差別や偏見によって傷つき疲れ、搾取と悪意の渦のなかで衆愚や皇族から集団虐待を受け続けているすべての善人は、自ら衆愚になることを意思をもって選んでいるとは限らない。単に彼ら善人が堕落するなら、無知であるか、良心を投げ捨て群れや権威に負けるほど意思の弱い人間であるか、どちらかである。このうち、無知の方は啓蒙によって変えられる。弱い意思については、人々が自業自得について理解している場合、改善される。結局、知が人を変えるのだ。だからたとえ人類でたった一人だとしても、最後まで真実を語り続けるべきだ。最後まで道徳を説くのだ。最後まで人々の過ちを認識し、改良策を提示し続けるのだ。もしそれが君に天涯孤独や極貧、偽獄、冤罪、被差別、被害、あらゆる不幸や不遇をもってきたとしても、日本人衆愚とともに破滅を被るよりましである。
 無知な奴隷であることを欲する日本人衆愚一般と、奴隷の搾取と増産を望む邪教祖天皇はどちらも悪意でできている。これら衆愚は遠からず業によって除去され、不幸の最果てに破滅する。重要なのは、冷静にこれらの悪魔崇拝者達から離れ、彼ら醜悪な愚者の全員に改心を求めないこと。改善されるのは全体の一部にすぎない。遺伝によって愚劣な人はわずかしか改善されないからだ。たとえ日本国全般が地獄だとしても、そして一定の期間にわたっても衆愚の遺伝や邪教祖の血族が独裁したとて、その一部に改善された人をみいだすことはできる。この一部の知恵をもつ善人のみが、我々の相手どるべき人々なのである。