2017年9月26日

資本主義批判

資本主義は犯罪である。客からの搾取、労働者からの搾取、経営者からの搾取、株主からの搾取、公務員からの搾取、これらはすべて皇族の公的犯罪に違いない。客にすらなりえない無業者、そして寄付を求めさえしない浮浪者を搾取できない資本主義は、貧民の生存権を弾圧しつける。資本主義は皇族にとって人類奴隷化の規律である。だから生活保護すら出し渋り、金銭欲で洗脳した衆愚からたらふく搾取する事のみが皇族の目的である。勿論、納税強要による天皇制度も完全犯罪に他ならない。警察は暴力団である。やくざの親玉である天皇が命じ、公務員と名乗らせた暴力団に賊的に搾取させた金で命令に従わない奴隷を殺戮していく。皇族や公務員が犯罪者なら、経営者や労働者や客も共同正犯である。資本主義のしくみである納税、商売に関わった時点で、この世界犯罪に手を染めている。
 自殺者は正しい。自殺は資本主義という犯罪の共犯になることを避けうる善意からの行動だからだし、社会変革の為にかかる費用に自殺志願者が現に耐えられなければ自死のみが正解だったのだから。自殺者の後処理をさせられる人々がそれを迷惑がる為に、自殺の自由を倫理から抑圧してきたのだ。骨処理すらいらない強烈な光照射による完全焼却の様な後処理の最小化された安楽死が実現された場合、自殺権は合法化されるだろう。金銭取引を多少あれ行うすべての商売人は、客の立場ですら同罪なのだから、資本主義罪を避けて生きるには全員直耕しかない。だが現代人は比弱な上に狡猾なのでこれすら適せず、皇族閥の奴隷として成金や世襲政治屋の地位を独占しようと躍起になるか、生活保護を受けて天皇の暴力団にただ乗りしようとするか、思考放棄して商人になるか、いずれにせよ農耕より楽以外の選択肢をとりたがらない。偉大ないくつかの国は、共産主義や社会主義により資本主義罪を便宜的に回避した。だからこれらの思想をもつ与党か個人が支配的な国々だけが、人類を覆う邪悪な慣習からわずかなりとも身を守りうる。
 宗教原理主義国をつくろうとイスラム国民は努力したが、資本主義犯罪集団に反イスラムの囮として悪用されてしまった。だが共産主義国の後に来るのは、寄付経済がおもになる原理主義国である。進歩的な国が迫害にあうのは、資本主義という後進的な保守の既得権益があまりに軍事力を寡占しているからにすぎない。少なくとも、すべての方面から利己で有害な資本主義者を殲滅し、全面攻撃し、不特定多数により徹底したゲリラ戦を行うのが、現時点の自称先進国内で唯一の正しい政治行動である。それによって搾取罪に加担するすべての成員を破産させるべきだ。
 資本主義国が最初にその悲惨から脱出する段階は、高福祉をめざす民社主義、或いは社民主義である。だがこの段階にすら到達せず滅び去る国々が殆どだろう。低福祉はそれらの国々の中に絶えず内乱か、高い犯罪率か、貧困者の増大による社会不安か、少なくとも大量自殺者をもたらし、よって皇族や何らかの既得権からの搾取体制が維持不能になり、財政破綻をももたらすからだ。無職や避職による怠業や無業は資本主義を早期破綻させるのにふさわしい抵抗手段であり、勤労の称揚や成金の礼賛という皇族閥による搾取体制の温存を否定することは極めて知的な洗練された革命のやり方だというべきだ。貴族的であるとは搾取罪を嫌悪し、成金の暴利や皇族的な独占欲を軽侮する態度にあてはまる形容であり、今日この姿勢は唯一、非暴力的な革命行動として学術文化人の非経済的な生活にあてはまる。