2017年8月30日

意識高い系という汚名の分析

「意識高い系」という張り紙・レッテルや汚名・スティグマ、偏見、差別は、衆愚仲間の合理化に使われている。衆愚の平凡主義、普通主義はいわば内向きの狭い交友関係としての村社会からの排除を恐れ、その凡愚集団での地位の最適化に同調圧力をかける、という目的をもっていて、それが平成日本の、主にネットを通じた年少者の間で常態的なのだと分析できる。いわば出世頭や将来の格差における勝者を意味する属性の人物を、侮蔑的に差別する用意づけによって、仲間の範囲で村八分を行おうとするところに原因があるのだろう。一言でいえばバカ仲間による有能者への差別感情である。勿論この根源にあるのは恨み・ルサンチマンに他ならない。
 最も利己的に賢い個性はこの種の虐めを意に介さず、資本主義秩序下で日本社会にも特別こだわらず他国と行き来しつつ、おそらく何らかの商売面で成功するかもしれない。他方、より利他的な傾向を持つ個性は、それは賢さと言う意味で道徳性を意味するが、この国の「衆愚仲間」に足を引っ張られるのを理解しつつ、その種の国民が経済的に、つまり金儲けで負ける事を潜在的に恐れているのだと認知し、単に揶揄される優秀者や飛びぬけた個性のみならず彼らの悪乗りにも何らかの同情の念を寄せるかもしれない。その他、愚かなだけの人は衆愚に無意識に群れて有能を排除し経済的に敗れ自滅していくだろうし、中間的な人はどっちつかずのまま凡愚な結果を受け取るだろう。