鈴木雄介ブログ
2016年12月9日
死の悲しみ
我々が誰かの死に悲しむとしても、それはその人から得られていた、又これからも得られるであろう利益が失われた事への利己的な期待喪失の残念さに過ぎない。つまり死を悲しむ人は残された自分達の、人生の苦の増大を悲しんでいるのである。既に死んだ人には苦痛すらないので、悲しみ等存在しない。勿論この意味で、既に亡くなった人にとって死は救いに他ならない。だから死を悼んでいるとすればその人は俗界の下種であるか、さもなければ四苦八苦に悟っていない俗人である。
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