2016年4月28日

芸術論

商業作家はどの時代にも存在したし、彼らの愚昧さも確かだった。純粋美術は商人らにとってまったく埒外で、それを商品価値によって捌こうとした人々は、みなあらゆる点で偽装的だったろう。同時代の大衆は常に最低の趣味、最悪の性質で生きていたろう。
 芸術家は、あらゆる時代をのりこえていなければならない。作品を当時の大衆むけに卸したり、大衆の為の製品を作ったりするべきではない。大衆の人生は全ての面で最悪だからだ。
 芸術家が生計に困る時、俗物作家や単なる俗人共からそしられるのは、普遍的にみられる事態なのだろう。この悲劇は、けれども、かの品位を保証しているのだ。義の故に迫害される者は幸いである。純粋美術の道を辿ろうとする者は、高貴な趣味の為にのみ、作品を整えなければならない。Patron、後援者が仮にみつからなければ、清貧に止まる事が鉄則である。餓死をしない限りに於いて、芸術家は金銭や報酬に期待して仕事するべきではない。
 聖者をそしった衆愚は、悪徳へより速くおちる。真の芸術は常に啓蒙的である。大衆を避けよ。聖人達に列する天才は、衆愚の破滅と対照的に、あらゆる栄冠を与えられる。天才の名誉は、全職業中で最高のものである。大衆作家を軽侮する事は全く正しい。商業芸術は下賎である。全世界の皇帝も、聖者さえ、最高の作品の前では無為である。
 生計できない程の赤貧で、なおパトロンが得られず、純粋芸術の探求が不可能な者は、最低限度の生活費を何らかの応用芸術によって得るがいい。しかし、この作業が己の品位にとって耐え難いと感じるなら、最小の生活費で済む場所へ越し、尚且つ、質素な作品を残せ。何れにせよ、芸術の本道に邪魔などんな作業も退くに如くはない。
 君の作品が立派な人々から購買されている時なら、君は周囲から成功した作家と呼ばれるが、大衆から人気なら俗物と陰口される。斯くして現世に於ける評価や賞賛を避ける作家は賢明であり、同時代で大衆から称揚される作家は愚物である。全く無視されている作家は、寧ろ幸運に過ぎない。調度、大衆性が死神かの様、作家としての終わりは現世の賞揚が大きすぎる事によって起きる。単なる知識層、高級文化人が当代の趣味の頂点に属するので真の評定については小声で聴こえるのみならず、全時代を通じても彼の聖性そのものが高い程に衆愚から誤解しか受けえない。無論、芸術の意義というものは彼の天才によっているので、後天的に修養された最上の聖性がそこに先天的に傑出して兼ね備えられている時を上回りはしない。