2016年2月28日

政治学

卑しい人々が貴くなったりその逆もありえない限り、王政が最善の政治である。それは当代の人類に可能な最高度の結果をもたらす。唯一の最善者が存在しない時、ほぼ同等で複数の有徳者による貴族政が望みうる次善である。多数政は常に、想像の限り最低の政治形態であり、貴さが相対的な限り、最も卑しく誤りに満ちた体制である。多数政は想定される最低限度に過ぎない結果をもたらし、貴族政または王政の集団に遠からず吸収合併されることになる。
 これらそれぞれより低い状態名称として、堕落した君主による独裁政は多数政より悪く、退廃した利権集団による寡頭政も多数政より悪い。これらは悪政の度合いであり、独裁政の方が寡頭政より悪意の人数が少ない分ましである。独裁者や寡頭者は少なくとも、卓越した扇動者として社会において最も卑しい人間ではなく、寡頭者より独裁者の方が少なくとも何らかの点で優れている。こうして最も悪意のある人物を含め、悪徳の全数者による衆愚政が全ての場合において最悪の状態である。
 より優れた体制の順に、王政、貴族政、多数政、独裁政、寡頭政、衆愚政となる。人類の社会において、最も貴い人が統治する程その政治が理想的となり、最も卑しい人が政治参加できるほど悪しき体制となる。多数政は現代において民衆政、共和政、民主政など複数の呼称が並存しているが、要するに社会の成員全部が政治参加する体制をさす。