2016年2月5日

仏教論

仏教が前提にする四苦八苦は、自明ではない。功利主義の快楽原理からみればこれらは回避されるべき対象にすぎない。前提が極論な限り、仏教の結論もある極論または非現実的な妄想の可能性が高い。互恵的ではない利他行動が人生の究極目的とする定言命法は、カントにおいても当為、即ち単なる極論として考えられている。いわば仏教哲学も、ある極論に関する妄想の体系である。諸物不動で一切快楽という認識でも、脳が注意している特定の情報処理についての自己表明にすぎないのだ。