2015年6月2日

貴人

卑しい人間はずっと卑しい。貴い人間はずっと貴い。卑しい人間が、貴くなったり、貴い人間が、卑しくなったりは1度もみたことがない。だから、卑しいと思った相手とは付き合うな。そして貴いと思った人は逃すな。これが貴族として生きるために絶対に必須のことである。卑しいと思った人間といると絶対に卑しい仲間になり、下層階級になってしまう。そういう卑しい仲間からはできるだけはやくされ。貴いと思った仲間からは徹底して出ないように。ただし卑しい人間は貴い仲間からはおいだされる。貴い人間たちとわずかなりともふれあえたならそれは人生で最上の経験である。卑しい人間は貴いものに触れられないのだから何かの奇跡が起きたというだけだ。貴さと卑しさは遺伝している。貴い遺伝がある。貴い言葉は卑しい人間には届かない。貴い人には貴い人たちの仲間がある。貴い人に、卑しい人が参加することはできない。国もまた同じである。貴い国に卑しい国は理解が及ばない。卑しいものからほめられている国は卑しい。貴い国は貴い人にしか認められえない。人は一言話せばその人のほとんどすべてが分かるものである。国も同じである。ある国民と一言はなせばその国のほぼすべてが分かる。一言にはその人、その国のすべてが表現されている。卑しいと感じた国と人には永遠に貴さは得られないのである。貴い人は貴い国にしかいない。世間で言われている風評はすべて誤りだと心得よ。真実は世評の正反対なことが多い。なぜなら世評は卑しい人が作っているからだ。貴い人の語る言葉が、真実なのだ。貴い人が卑しい人間をみていやしんでいるときそれは本当に卑しい。卑しい人は貴さを見分けられないから卑しい人の言う卑しさは貴さであることが多い。卑しい人間はいつまでも卑しくその子孫も同じである。貴さは社会の身分とは異なる。貴さは道徳である。道徳とは、知能の全体性である。貴い人は知能の全体性が優れているのである。人は、貴いとき、遺伝が優れている。卑しい人は、遺伝が劣っている。また、地域も同じである。遺伝の優れた人は一定の地域に集まりやすい。ある国の知能と他の国の知能は平均して違う。道徳性も国によって違う。貴い国はいつまでも貴い。あるとき卑しい国が成り上がっても心配するな。その虚栄はもろくも崩れ去る。卑しい者は出世しても卑しいままである。尊卑は身分ではないのだ。この世では、道徳性の高い人しか真に惜しまれない。身分の高い無名人は無数にいる。125代の天皇のうち、記憶に残っている者が何人いるだろう。身分のもっとも高い人ですら卑しいことがあるのだ。貴い人や貴い国は永遠にそうである。遺伝の優れた人は永遠にそうである。さらに優れた人は、さらに優れた遺伝からしか生じない。さらに優れた国は、さらに優れた人からしか生じない。人は貴い者のみが永遠である。卑しいものは滅び去る。人も国も貴いものが永遠である。会社も組織も町も村も同じである。貴い社会が永遠なのだ。貴さをみたら敬え。卑しさをみたら蔑んでよい。卑しさを尊んだりしてはならない。尊さをさげすんだりしてはならない。卑しさを尊ぶ、尊さをさげすむ振る舞いは己をもっとも汚す。卑しくなる原因は尊卑を逆にすることである。貴い者を貴く扱い、卑しい者を卑しく扱えばその者の品位は向上する。卑しい国をさけ貴い国とくらすがいい。世界中の国、世界中の民は尊卑がある。すべての国が貴いわけではない。すべての場所が清らかではない。あまねく人と付き合うのではなく、貴い人と付き合え。あまねく国を尊重するのではなく貴い国を尊べ。聖者のいる国があればそこは貴い国である。聖者は卑しい仲間にいられない。人でなしがいたら、そこは卑しい国である。人でなしは聖者の間にいられない。尊さと卑しさをよく見分け貴い者の一部となれ。卑しい者はすべてが卑しい。住居も衣服も言葉も、遺伝されているものすべてから持ち物のすべてまで卑しい。それは卑しさについてきたものだからだ。貴さの中に生きているものには不幸がない。貴い者は常に幸いである。貴い国は常に祝福を受けている。人は悲劇を悲しむが、実は救われているのだ。貴い人にしか悲劇は起こらないからだ。卑しい人が不運にあったところでそれは悲劇ではない。人から悲しまれることをよろこべ。悲劇は祝福に等しい。人から笑われて安心するな。それは己の品位をさげすまれているのである。あざ笑われて安心するな。己を笑ったものは己の劣位を笑ったのであり、人から同情されていない以上それは己への敵意なのであるから。人から同情される人と人から嘲弄される人のどちらが貴いだろう。説教をためらうな。説法は常に人を貴くする。この人へはわからないだろうと言葉をとどめることなきようあらゆることについて、入念に説法せよ。相手が納得するか否かにかかわらず貴さについて語りつくせ。この世で最上の慈善は説法である。説教をさげすむものはいない。説教は常に尊ばれる。人は貴い言葉によって魂を入れ替える。国は説法によってつくりかえられる。貴い人や、貴い国をつくるには説法をすることだ。説法は折り目正しく、謙虚でかつ執念深くあれ。相手が説法に参るまで徹底せよ。一言二言通じないからといって説法をあきらめるな。貴い真理や偉大な道徳を妥協するな。相手が真の道にもどるまですべての力を尽くして説教を続けよ。それでも道に戻らない相手がいても説教を後悔する必要はない。聖なる人は永遠に語り継がれる。説教が失われることはない。道徳が消え去りはしない。真理は残っている。この世の国は皆滅び去る。この世の人がみな死ぬのと同じである。失われる国を惜しむな。永遠の国は貴い人のみの中にある。貴い人は永遠の国を見るであろう。失われることのない国とは、理想の中の国である。貴い人は理想の国を持っている。卑しい人は現実の国以外もたない。理想の国に住まう者は、いかなる不道徳にも染まらない。我々は永遠に貴くあれ。永遠の貴さは理想の国の中にある永遠の生命である。永遠の貴族をみよ。理想の中にある貴い人たちは決して老いたり滅びたり殺されたりしない。現実の国にこだわるな。我々は地を継ぎ永遠に暮らす。貴い人はますます貴くなり卑しい人はますます卑しくなるが、貴い国のその先には理想の国があるのだ。卑しい国は破滅に至る。この世では、貴さと、卑しさを峻別するべきであり、貴い人のみが尊敬に足る。天皇ですら廃位されるのであり、身分は永遠ではない。道徳のみが失われないものである。法は変化するが徳は残る。徳はすでに古代に頂点に至り現代に至るまで変化がない。最高徳は常に自己犠牲である。最大の利他性は最高の幸福である。最高の貴族は常に、自己犠牲の代表者である。貴い人の魂は永遠に貴く、その精神はとわに語り継がれる。卑しい人は、死後即座に忘れ去られる。利益を追求するのは卑しいことである。利益を追求した人々は忘れ去られた。国益を追求した国々は消え去った。国の徳を案ぜよ。徳は人を命長くする。徳は死後も続く。人徳が高い者はすべての尊敬を集める。国の徳が高い地域は、あらゆる敬慕を受ける。公徳が国の徳の最上の点を決める。それはやはり自己犠牲である。道徳を知っているものは卑しい仲間になりえない。公徳の国は、卑しい外交をできない。卑しい人々からそしられている国は、最上の国である。貴い人からそしられている国は、最低の国である。尊卑のない世界はないように、貴い人と卑しい人は別の国に住まう。貴い人が卑しい国にきたり、卑しい人が貴い国にきたりすることはまれである。貴人は貴国に住まう。聖者は貴国を好む。衆愚は卑国に住まう。貴国では衆愚が亡ぶであろう。衆愚は貴族に嫉妬し、ひきずる。衆愚は貴人を捕まえて、いじめる。貴い国では、貴人が尊ばれている。貴い地域では、衆愚が疎まれている。貴い人になるためには貴い人と暮らすべきである。卑しい人が貴い人と暮らすことは困難である。卑しい人は知能が劣っている。貴い人は知能が優れている。貴い人は卑しい振る舞いを悲しむが、卑しい人は貴い振る舞いをけなすのである。貴い国と卑しい国はまったく分かれており、卑しい人は貴い国では生きていくことができない。卑しい人は救うことができない。貴い人は救われている。貴くない人は、貴い人から習え。卑しい人は、卑しい人から離れよ。貴い人は、卑しい人に説法せよ。貴い人は、卑しい人をさげすむべきである。卑しい人を尊んだりしてはならない。金儲けをしていることは、卑しいことである。寄付をしたり、清貧であるのは貴いことである。貴い人は尊敬され、卑しい人は蔑まれる。金を儲けたり、金儲けを自慢するな。寄付をしたり、清貧であることを誇れ。尊さを謙遜するな。貴い人は謙虚すぎるようなことがないようにせよ。卑しい人が傲慢であるのは醜い。貴い人が謙虚すぎるのも、醜い。堂々たる風格の貴人は、見目麗しい。せせこましい卑しい人は、身分相応に見える。不道徳な人間、金持ちな人間は縮こまっていよ。徳高い人で、清貧ならば威張ってよい。徳を説くのにしつこいのはよいことである。徳を説かれるのにしつこいのは、よいことである。悪徳を広めるものがしつこいのは、見苦しい。悪徳を広められてしつこいのは、苦しい。貴い人は永遠に貴いので、卑しい人の卑しさはうつらない。説法は慰めである。説法は寄付である。説法は慈善である。卑しい人が貴い人をそしることは反逆である。卑しい人が貴い人を誹謗することは世界をけがす。卑しい人が貴い人をおとしめることは地上を破滅に至らせる。この世には2種類の人しかいない。貴い人と卑しい人である。貴い人のあつまりを貴族といい、卑しい人の集まりを衆愚という。貴族と衆愚はかさなったり、交わったりしない。衆愚の国は卑しい国である。貴い人は卑しい習慣を持たない。貴い人のすべての習慣は、貴い。人は習慣から貴くなる。貴い人はどこへいっても恥をかかない。貴族は尊敬されるべくしてされる。衆愚は破滅するべくしてする。国もまた同じである。貴国は出世するべくしてする。卑しい国は戦争で破滅していく。卑しい人が成り上がったところでいずれ自滅する。貴い人は限りなく貴い。全ての人類を救うとは最大の寄付をすることにすぎない。人は己の力の範囲で人を助けられるからだ。隣人を助けることができればやがて人類全体を救えるのである。隣人から恨まれた人は、誰を救うこともできない。隣国からうらまれた国は滅び去る。隣国から憎まれている人たちは、卑しい。隣国から尊ばれた人は貴い。隣人が最大の評価者なのである。隣人を軽視するな。尊卑を知るのは隣人をおいてほかにない。貴い人である為には隣人を見よ。隣人から知られていない人は遠国からも軽視されているのである。隣人から知られている人は遠国からも知られているのである。隣人から尊ばれている国は、遠国からも尊ばれている。隣国や隣人は鏡である。貴い心を持つ人が隣人から蔑まれることはない。貴さが鏡にうつって価値を減らすことはない。尊卑はひたすら隣人に影響を与える。隣国から注意されている国は、どこでもそうなのだ。隣人から感謝されている人は、どこでもそうなのだ。人は説教をする事が最大の戦闘行為である。言葉は人の最大の武器である。人の魂を責めることは、最大の攻撃である。人は武器によって魂を殺せない。人は言葉によって魂を倒せる。言葉は最大の攻撃力を持っている。言葉を軽んずるな。言葉による戦いを軽んずるな。言葉は最大の世界的戦争を行っている。やり取りや会話、議論は人々を最も傷つけ、最も救うのである。善良な人を助けるのに言葉より助けるものはなく、悪質な人を退治するに、言葉より強力な武器はない。天皇といえど一言で亡ぶ。大国も一言で倒れる。真理はいかなる槍より強い。和平を結ばせるのは、親しい言葉である。怒りを静めるのは謝罪と感謝である。卑しい人は謝罪する習慣がない。貴い人は正義を信じており、卑しい人は不信を信じている。信念は伝えられる。良心は人々を教化する。