経済学や社会分析に限らず、理解できる内容しか語らない人は最も信用が置ける。彼が理解していない内容を語っている場合、人に質問されてもその内容を分析的に展開できない。特に、マクロ経済の様にほとんど既存実証性が確保できない内容を語る人物の場合、これがごく重要だ。ケインズが「日常語」を数学的推論より経済学上で重視したのも同じ理由によるのだろう。常識的に判断できない推論や抽象的理論展開になった時点で、マクロ経済論は完全な空理空論になり易い。実証された時点では失敗の理論だった、という事が深刻な悲惨を斉す点でこれ以上のものは、政治学を除けば一つもない。この点で、「論理的に誤ってはいない」という、他の自然科学なら信頼が置けそうな真偽命題性が最も信用ならないのも、この経済学や政治学の領域だ。