2012年8月28日

西日本民度の分析

品性下劣で自己中心的、害他的かつ人種差別主義者の群れ、関西系の邪悪な西日本人。薩長土肥京といわれる西日本の果ての人々の無反省と共感能力の極度の低さに無恥さ、我執と悪意ある低い判断力に無理解、その場しのぎの暴力と群れによる悪徳のかたまり。
 彼らは傲慢によって人種差別を行いながら集団で少数者や異民族、異なる人種差を偏見込みで迫害する。
 これらの野蛮な人々へ偶々武器が渡ってしまったのが大きなアジア史、日本史下の過ちだった。アジア太平洋地域の悲惨は、こういった極悪人に刃物をもたせた事によっていたろう。徳はなく、暴力による覇権を信じる強欲で卑怯な人々の民度。勿論、敢えて多数派とはことなる例外というものは考慮されるとしても世界から運よくこれらの西日本国民が減殺されれば、人類はおそらく以前より良識の比率をます事だろう。

 単なる啓蒙によって民度や彼らの歴史理解を変えるのは難しい。西日本の文化に育つ人は周りの人々が覇権主義に敗れたのを単に力の問題と考え、この再獲得へヤクザといった非合法組織を含めた暴力傾向の強化でこたえようとしているので、権力濫用の立場にさえあれば他者が虐げられ自らは虐げ得るのを当然とさえ思っているらしい。そしてこの公共や他者の福利を無視した、堕落した利己的政体のあり方を伝統的にすら驕る傾向さえ土着している。
 普遍な国際協調がこういった人々にとって広域に可能だとは考えにくい。単にその領域は彼らの武装の担保である商業の利潤が保てる範囲に戻るだろう。

 東京がそういった民族性を引く資質に劣った不徳知事を4選した事は、商業化された首都が関東にあってさえ道徳性に欠ける重要な示唆だろう。もし1人の日本人として望めるなら、西日本とは縁を切る事で諸外国との友好と友情を、以前より遥かに保てると確信できる。
 この条件の方がKansai fascism、Kansai nationalismに因む拙速な地域の学識自慢等より人類に益する所多大だろう。それが遺伝しえない獲得形質であるばかりか、嘗ても今も学問水準がどれ程都市間あるいは人の間を移動し易かったかを省みれば、悪徳に満ちた群集の中にそれがとどまりつづける要件は何もない。