2012年7月15日

文化論

関西人がつくってきた文化が俗悪極まりないそれであるかぎり、事実、彼らの文物さえ歴史化されずに消えていく。

 物語という形式をとっているそれに示された卑しさも、皇族とおなじ、束の間のたわむれで人々が長く覚えていたり、思い出すことさえなくなる。我々の歴史の威力は人類の卑小さ一切を即座に流しきるだろう。卑小に思える全てが、近い未来の人類をわずらわす事さえなくなる。
 もし商業行為を見れば、それだけで人類が高度でなく、目の前の利得に弱く、100年程の将来さえ殆ど予想しないのを見てとる。

 人類は決して歴史を通観できる人物を多くもっている訳ではない。しかも、実際の暮らしにあってこの人物を冷遇し、迫害さえする処並でない。私が関西人なるものへもつ大きな嫌悪、或いは憎悪の理由もこの洞察能力や知能への関西人文化の極端な迫害、いわばかれらがもつ排他主義への反感にある。関西人文化では高い見識を示す常識以上の良識が少しも生存の余地がない程貶められるのを、私は何度となく呆れる丈見てきた。
 関西人文化から高い人格や、程度のよい育ちをもった教育された人物が常識やよき見識をもって育つのは無理だろう。ごく幼い頃から悪徳や醜悪な風俗に染まって堕落している関西人には将来に渡ってもそこに欠けている識見の致命的な損失が補われそうにない。ただ、関西人文化の外から教養や文明化された人生が育つ。
 悪意や悪道に堕ちている関西人文化の質はごく低い。そしてその訳は、構成員の知能水準が道徳性とみて、平均的に他の地域より極端に低いからなのだ。我々には反面教育にしかならない彼らの生存の分量さえ、似た結果しか斉さない。

 文化面でこの集団から別れる事、血縁関係を断つ工夫、国家を分ける事が人類の中で日本を大きく進歩させ、飛躍的に改良させるだろう。