2012年3月24日

理性

現代社会の腐った有様。
 商業化された社会でくらしている人々のくるしみはどれ程だろうか。
 福沢諭吉が理想化や空想したその世界が、どれほど低俗でどれほど人間性を毀損、あるいは誹謗しつづけたのだろうか。
 まったく利害の関係ない無名の第三者を、ただ面白半分でネット掲示板上でなりすましつつ誹謗中傷しつづけた、現に猥褻物で何十億もの売り上げのある自称他称ノーベル賞目前の覚醒剤中毒状態にあるらしい国際的有名作家。その他方では、ただ必死で懸命に努力しつづけるただの日本人にすぎない無銭かつ無名の無職だと無意味に老人達から虐げられつづける若者。一体、これだけ取っても、どれほどこの資本経済社会というものが腐敗にみちているのかはかりしれない。
 これらの腐りきった社会の上で、倭の皇帝一人が大量の税金を独り占めしている。首都の若者のなかにはびこりゆくあらゆる性的人身売買の稼業を放置しつづける悪徳にみちた都知事が我が物顔で繁殖しつづけた。行政権を悪用し、言論弾圧やその世論を悪風に誘導する為に彼は自らの驕りを濫用しつづけたのだった。
 私たちは、これでも絶望するなと教えられるべきなのだろうか? 抵抗すればする程、ますます何もかもをもった老害たちから何も持たされず、何一つ成し遂げられないまま一方的に虐げられまくる社会では息をするのも辛いだけだ。挙句には震災に天罰だと怒鳴られ、いきなり放射能で汚染される。そして卑しい京都の舞妓や芸者たちだけが贅沢用のあふれる金まみれで持たざる弱者をふみにじり威張り散らしている。倭の文明がこの有様なら、なにびともそれが仕切る日本になど協調すべきではないのだ。ただ、倭一切の永久絶滅だけを望むのも不思議ではないだろう。そしてひとりでに、私の上におぶさってありとあらゆる苦しみの種をまきつづけている倭が出自した関西憎悪がうまれてくるのもなにも不可思議ではなかった。目の前に証拠があり、かれらあからさまに目だって悪さをしつづけているのは一様に関西に由来する社会圏だったのだから疑い様もなかった。遺伝的に悪さをする為だけに存在するのが関西人なのかの如くにだ。東京都、もとは武蔵野だったあの素朴な原野をああしてしまったのはすべて、関をこえてやってきた底なしに邪悪な種だった。
 なにか君に報いがあったか? 私には何もない。私はただ孤独なだけだし、そこには一銭もない。名誉もなければ得られた何もない。何もないのだ。ただただ無為な苦しみを背負わされているだけにすぎない。しかも、私はなにか風変わりないきものでもなければ、この世にたまたま生まれたどこにでもありそうな一人のいきものにすぎなかった。では、なぜ私にこれほどまでの苦しみ、いきどおり、罪業にみちた倭への復讐の命題とやらがあたえられねばならない? 邪悪すぎる人種の目の前にたわむれるこの悪魔の島でただ1人だけ、理性を保っているこの自分に。