普遍的な悩みとは、端的に殆どをブッダが解いている。彼がいう意味での修業をしない者は来世へほぼ関心がない。現世的な生き物は知能が低いのだろう。そういう場合に彼らの住んでいる業苦の世界は侭、彼らの生き死にの中にある。
いわゆる四苦八苦を通して人類がエロスなるものから離れ、アガペーの境地に安住する様に導く人。これを普遍的に、遍く又は広く、宗教人と定義できるだろう。彼らが弱い者、虐げられる者の側に立つのも広くみられる有様である。
しかし、このエロスとアガペーの対立、両方のせめぎあいが我々という文明界をつくっているのも確か。宗教界が全世界のすべての場所をしきっているのではないわけもこのエロスの側、性愛の側が配分的正義を主張しだすからなのだろう。博愛はこれらを再び調整し始めるが、かといって生き物としての人の有様さえ否定しきることはできなかったので、こうして現世という状態はあるらしい。単に生物とみて、うまれもった性質に関する人が人ならざる段階に進まない限りそうだろう。