私のみたかぎり、いなかをその特性のためにからかっているのは、当のいなかというものをぬけだしてきたのを知っている者、そして都会の側になんとか入り込んだ自分をそうでない過去の仲間からひきはなそうと蜘蛛の糸風に過去をみくだして叫んでいるあの悪徳人だけだ。
完全に都会のなかで選択淘汰されてきた種はそのそとの世界をしらないし、内々どこもその都会の特性をもっているものだと信じ込んでもいるので、いなかをからかうという発想すらもちえない。そしてしばしいなからしさのなかにすぐれた点をみいだし、あこがれたり、めずらしがったりするにとどまる。もしいなかになんらかの偏見をもっていたとしても、それは他人のうけうりか、どこにでもみられるその人自身の境遇自慢にすぎないだろう。
究極からいえば、都会をばかにしている者が本当に都会人だといっていい。こういう人は適応している都会の負の側面をしりつくしていて、そのあしきところをいやがってもいるが、なお都会というものから大層はなれないでいるからだ。