2012年2月24日

忠誠

本物の屑は天皇家だった。或いは倭だ。
 大震災の直後に、我先に天皇家を逃げさせようとした西日本系列の血は、他人から搾取はするが一切それに感謝しないのだ。普段からそうなので、危機に際しては極端なまでに屑振りをあらわにした。彼ら倭は強制されないかぎり、他人を貶めながら搾取しかしなかった。その性向を詳細に分析して、現段階でもなにかが起きれば、一部助けえる国民全員を犠牲にしてでもすぐさま他国と他の民族へ散々媚びながら逃げ出すであろう。この本来将軍自身であるべき皇族の、奇形化しきった近交弱勢さこそがなぜ日本国内にその使い物にならない体制へのプロテスタントたる武家政権という本来の公共政、あるいは実威を復活させたかの遠い起源でもある。絶対権力者に定着した天皇家と、彼らが土着してきた西日本の土着民はその公共心に於いて甚だしく腐敗しきってきたのであった。
 一体、国民の防衛者の頭が、目の前に動いている大きな市場の胴元が、危険に遭えば我先に逃げ出す社会とは、その愚昧で偽善の、にせもののあしき文明とは何であろうか。それでは商業するだけ民の損害ではないか。主権をつかさどる当の人物自身が奴隷として、日夜なにもかもを搾り取られて最後は命もろとも捨てられるとは何事なのか。まずその様なあざむきの文明下で安心して他人を信用もしくは協調さえならないであろう。沖縄や北海道を例に出すまでもなく、日本乃至はその中央集権制の京都という国号が中華思想の援用であり、これら極東の島嶼に朝貢貿易を模擬し続けたのを省みよ。倭に於ける天皇家の滅亡というのは近い将来、疑う余地がないであろう。すでにアメリカ、フランス、ドイツといったその擬似王権の形式的な制度を破棄してきた国々に比べ、それを維持した日本やイギリスあるいはオーストリアらが一体行く先々でどれほど有利有徳か。この命題を十分に国民は、いかなるヤクザ、暴力団、右翼からの脅しにも屈せず議論しきるべきである。そうしないとき又おなじ大災厄が起きてもまちがいなく国家が起こし得るすべての悪業の最終的責任を負うはずの当の倭が、象徴として不道徳にも真っ先に免責されてしまう無責任の国家なる常態、これこそ全域を日本と呼ばれた行く末あしき島々の世界なのだから。そして加えて、驚くべきことに周囲の余り主体性もなかった人物へ責任がなすりつけられ、罪が覆い隠されたままで絶対主義的世襲制度の悪種としてそれら一切が、ある古代地方の自称建国者の神話めかした超利己的かつ絶対自己中心な悪意に於いて、未来世代へさえ誤って伝わってしまうのだ。
 天皇家は、少なくとも今上自身は「国民と共に」と述べたと報道に云う。しかし、世間へ伝わった情報によれば、その録画映像はすでに京都へ逃げ返る準備を整える為に録られたと云う。御所には震災直後すでに黒塗りの車がつどったと京都の噂に云う。電子掲示板上では東京都の権力者らしき者さえもが、国家の許可してきた原子力災害本来の責任者である天皇を、なんと本来の主権者である現なる被災地にいる被災者よりさきに逃げさせ様とした痕跡がある。なんという欺瞞でありなんという悪質さ、なんという悪態、なんという錯誤、それをいざなっている倭をとりかこむ政治家らのなんという極悪非道残虐至極なる悪魔振りであろうか。いざとなっても死ぬほど無知なのは言うまでもない。これらの過去の事例一つとっても、第二次世界大戦を再見するかの如くであり、現代までの全人類史をかえりみて、世襲帝国の長が民衆のなかでみられる以上に勇敢であった試しがないので、現実に当の場面は細部の差にかかわらず本性については正にいまだその通りであるはずだ。彼らは自らのとある尊厳らしきものが徳によってではなく、その権威づけのための擬装の制度としての世襲あるいは血の世継ぎによってえられたという意味で、決して他にもまして真に自己犠牲的ではありえないであろう。そしてそれならばこそ、彼らというもの、倭というアジアの暴力団を指揮してきた罪深い一族の末孫こそは本来期待されている職責、つまり全国民の救世主たる役目には決して叶わない誤った立場へ、土着した人々の祖先崇拝につながる何れ保守的な過ちを理由としていまなお居座り就いている、まこと邪なる悪業の血筋に違いない。
 この数枚に分かたれて書かれた手紙は、いま私の手元にある。作者はしれない。だが、あの厳格かつ高尚な哲学者先生は、或いは亦はたして王権神授説を明白に筆致について批判しきったかの明晰なジョン・ロック氏は、最も簡素で純朴な法三章をめざして奴隷制度を諦めた新大陸諸賢こそは此のみ空の上ではたして、それでも天皇陛下へ敬礼をしている、保守的な忠誠へ従う東洋の私をあざ笑うだろうか。私はこの不敬きわまりない疎そか者の手紙については、それからすぐに破り捨ててしまったのだった。永遠の無為に費やされたわが国民人生の果かとして。