2012年1月18日

関西出生の人種について

京都人種は悪さを悪さとも思わず、悪さの為だけに悪業の幇助をして少しも済まなさを感じない。

 私が見ている目の前で犯罪者に協力し、犯罪を幇助し、犯罪に加担していた京都人種を私は知っている。その人物は悪さの為だけにする悪さを果てしなく好んでいた。犯罪だと言っても何の抑止もなく、警察権力を悪用しようとし、いつでも冤罪幇助だけを生業としていた。なんと、犯罪を止めようとした第三者へ罪をなすり付けてそれを喜びとしていた。凄まじい滓の様な人種だと私には見えた。

 京都を崇めている連中は、そういう甚だしい実例を何度も見た自分が一体、嘘をついているとでも思うのだろうか。しかもその甚だしく堕落しきった人種、京都人種は、というのも京都弁を使う人物は大変珍しいからだが、私が見た限りで単独の突然変異どころかほぼ確定的にたしかな複数だったのだ。

 また、神戸市を肩書きにつけている人物はこれに次いできわめて性格がわるいのを私は発見した。彼らは悪さを悪さとも思わないばかりか、悪さを好んでする。少しも理解力がなく、日常的に他者へ暴言汚言をはきちらし、それを恥ずるでもない。他者へは「センスがないセンスがない」と迷惑千万としか言い様の無い意味不明で一方的かつ暴力的な誹謗中傷をし、つまり何でもかんでも理解不能な暴言をまきちらし、しかもきわめて愚かしい醜悪その下ない犯罪行為をして少しも反省のふしがない。そんな人種はそうそういないわけで、当人達が驕りながらみせびらかす神戸市出生という肩書きそのものが悪意と悪業の集積でしかない程だった。
 私は神戸市という肩書きをつけた人種にただの一度も徳を受けた事がない。彼らは害毒だけを周囲に死ぬほど与えていた。しかも極端に驕慢だった。

 これらの自分のまのあたりにした真実はおよそ統計的にも確証できるはずだ。もしも人種偏見につながりそうならその固定観念だけはさけるべきだが、少なくとも社会学として十分になんらかの検証が必要な項目だと思えた。