2011年12月8日

随筆

カンサイ人のいう善は巨視的な悪であることが殆ど全てだった。
今後ともそうだろう。これは、かれらの知能が長期的損失を測れないことによるのだろう。その血統も同じ末路をもたらすだろう。

 私は「善きカンサイ人」にただの一度も会えなかった。わたしの人生経験で少なくないかれらを実際にみたり或る程度会ったりしたが、個々から演繹できる総合的徳の達成という観点から、探しても「居ない」筈だ。いいかえると中程度以上の善人や人格者、君子とか侍、もののふ、紳士淑女などはそこからは淘汰されきえてしまうらしい。
彼らは一様に非常な性格や性質の悪さ、非常な劣悪性をもっていて、いつも他人を誹謗中傷したりすさまじい頽廃に沈んだりしながら銭を掻き集めてくらしていた。そして、これは習慣なばかりかほぼ本能的習性ですらあるので、かれらが生き残ったかぎり将来もなんら変わらないだろう。
 げす、という言葉がそれより似合う人々は世界中に殆どいないだろう。