2011年12月27日

俗世間について

俗世間へ降りようとする若者へ一つ忠告する。
 そこで運が悪ければ、君は次の様な女に出会うかもしれない。その女は君へ童貞か、と言うだろう。或いは別の言葉かもしれない。要するに、過去に性的経験をどの程度持った事があるか異性交遊の有無を「性交そのもの」を軸に聞く。この女とは決して近づくな。もし近づいてしまっていたらできる限り期限を定めて巧く関係を断つがいい。その理由は、第一にこの女は、風貌がどう見えて社会的にどんな地位や肩書きのうちにあったとしても性的に堕落している。よって、君へ良い結果を一つも与えない。次に、この女は愚かである。頭脳の悪さは人類にとって大きな損失だから、できる事なら同じ人種であったり、似た環境に住むのも良くない。違う社会で違う生態を持つ様に工夫せよ。
 性経験と呼べる多くの異性間の交友関係又は婚姻後の付き合いのうち、性交の有無を聞く理由は唯一つ、その男性が性的不能ではないかを尋ねるところにある。この下心には、浮気症かを探る意味が含まれている場合も皆無ではないだろう。しかし、総じていえばこの質問をする女は、世間がどう見ていたにせよ非常に愚かである。なぜなら愛情を完全に動物的営みとしか見ていないからであり、第二にその全うな人格が恥じ入る質問で人間を侮辱している事に気づかないだけ無恥もしくは低知能だから。この女は100%の確率で通常の結婚生活水準以上の生涯を送る事ができない。更に、複数の男性と関係を持つのを当然と思っているので全うな人間を育て上げる見込みも全くない。この様な堕落した女性は一部の階層或いは低俗で無教養な社交の中で生まれ育つという不運な状況にしかありえないのであり、そういう女性がどこかに居たとしてその女が出入りする様な場所は終生努めて避けるがいい。知能の水準が十分に高く、生まれが優れて成長よく、人々の加護の中で必要最小限よりずっと満ち足りた教育を受けたかまたは愛すべき敬虔な宗教生活を送ってきた女性で、これらの質問がだれも為しえる可能性は全くない。その様な勘違いを甘んじてさせられる場合すらありえないのだ。
 また、万一これが学校教育課程のどこかで学内やその周囲の学生と知り合った中でなされた質問ならば、その教育自体が致命的に腐敗していると自覚していい。且つそういう教育を、全ての事情を考慮しきってもどうしてでも受けざるをえない最悪の事態を除けば、最大の注力を以て当学業課程を抜け出し、別の学校へ入るか他の課程へ属する様に。悪い記憶しか残さぬあしき仲間に入らずに済んだ過去を、後々まで自らの人生観察の経過として若くして物分りのよかった己自身の聡明な賢慮へ、感謝する事になる。もしさらに抜き差しならない義務として彼らと一定期間似た学業を為さねばならない地獄じみた拷問の際にあるとすれば、彼らとは努めて完全に孤立した方が良い。体を鍛え、たった一人でも生き抜ける魂ごと強くなれ。そしてできるかぎりはやく立派な人々のいる世界へ脱出せよ。どちらにせよ、そういう連中の周りにあふれた教育課程なる名を借りたなにごとかの戯れ、いずれ取るに足らない悪ふざけ自体がどういう訳であれ君へ名誉をもたらさないのを予言しておく。