2011年12月14日

英知論

今の文芸誌というものは廃人のたまり場だ。組織に問題があり、今後とも変わるまい。世間には文人の定義が或る文芸誌主催の賞で決まる、といった一般的無知の表徴があって、これは意図されて菊池寛など明治と大正の先人によって形づくられてきた組織なのだが、全く機能していないどころか社会にとっての害をあからさまに与えるまで腐敗している。恐ろしいのはこの表徴が多くの人に勘違いされ、実際に尊重までされている現世社会の凄まじい皮肉である。
 評論家が自らの権威づけに一寸した小説風の、或いは取るに足らない書き物を発表して三島由紀夫の名が冠された受賞を確保する。こういった出来レースひとつとっても狭い、内輪のなかでやりとりされる文事への装飾は何かの徳を持つでもない。全ては腐りきっていて、多くの人はそれに関心もないまま呆然と事態の落魄を眺めるともなく口先あわせているか、辻褄ごとあわせさせられる事はなはだしい。マスコミュニケーションは俗悪の賛美へのっかって凄まじく偽善的な現代文化とやらの上っ面、欺瞞と矛盾にみちた表層性をぬりかためる。私はそれらの世間的悪をよく観察してきた結果として後生へ忠告する。世間の名誉と思われているものは決してそうではない。多くの名誉らしきもの、或いは名声は仮初の草舟、束の間の虚飾である。追従者たる多くの売文商人らも同じだ。
 すべての帝国が滅び去った様に、驕れる者久しからずの言葉どおり、また聖書にある「狭き門より入れ」の格言そのまま、世間の多数を占めている意見や有様に真があることは殆どない。つねに少数者から先鋭を見つけよ。彼らは名を知られることもなく、また秘めた実力をひろく認められてもいない。彼らが単に無知にして世間を怨む愚か者やはっきりとした変人でもない限り(とはいえ隠者の様、当時の世相との懸隔差の故に、判断力のない俗人からは一見そう見なされている場合も多いだろう)、世間のすみにあって最高の徳を持ったごく少数の秀英を見つけ、その人徳と高貴な仕事に従え。精神性が高いと見受けられる者を信じ、物質の豊かさを見るな。こうすれば、貴方が自由の中にあっても必ず、世界の潮流やはげしい環境の浮き沈みにも耐えられる操と信頼できる舵を得るであろう。
 私の時代には、他の多くの時代と同じ様に特殊な適応条件があった。そこでは少子高齢化が急速に進んでいた。そこで、世間では慌てて子を儲けたりできる限り急いで労役に携わり、次々欠けていく金銭を掻き集めたがる人々が大勢いた。彼らの多くは沢山の媒体のなかの伝達の際で馬鹿にされ、賤しめられてもいたが、又その哀れな立場は丸で奴隷の如く馬車馬を引き、資本家へ毎時ごと礼拝し、機械の様に管理されつつ労働という単価に身を焦がしていた。さらには、この要件下で彼らは必死に子を儲けたがっていた。が為にますます慌て、ますます事態が悪化するのだが一向に反省せずできず、獣類の様な悪徳、性的不埒になれしたしみ、婚姻の制度を意義もろとも忘れ、往時の京都宮廷の様な混乱した傲慢に陥り、考えのみならず世界が狭まり、自殺したり親が子殺しをしたり子が親殺しをしたり、それらのどれでもなくとも人心と安命を得る方法をなくし、ただ野垂れた犬の様に金、金と騒ぎまわっていたのだった。一人それらの上で安物を売る途上国から搾取した質の悪い商人と、彼らに寄生した皇室のみ栄えていた。大地震や原子力災害、大津波による破壊がつらなり、世間では見るに耐えない混沌が日常的だった。テレビジョンという媒体のなかでは、子を流された被災者の目の前で、歌手まがいのアイドルへの投票選挙というものを東京にて日々大勢でわめきたてていた。大政奉還の際に起きた下士による明治簒奪を美化させる頽廃した劇が国税で豪勢に造られ、貧しい民衆は長期失業の底でそれらを黙って眺めさせられた。ここから、我々が学べるのは「冷めていよ」というアインシュタインが特許局時代に身に着けていた態度による世間への相対こそ、賢者をそうでない側から分かつ処世術でもある、というわけだ。冷めつづけている為には熱帯に住んではいけない。そこはなにかを真面目にやるには気候も暑すぎるし、人口の過密が多くの表象を変幻させ続けるので人類の理性は弱まり、知的分析の才覚は抑え込まれる。亜熱帯に近い温帯も同様の悪所へかぎりなく近づく。寒く、多くの人がおらず、野蛮ではない場所を選り好んで住め。できたら知恵のある者がいた証拠ある文化を択べ。そこでは容易に同等の形質を再発掘や再生できるからだし、世間の側からの前例との参照が数多くのいらぬ手間を省いてくれる。これらの為にさえ、知恵または知能の高い遺伝とそうでない者とはほぼ似た効率で社会内動態を移動していった。人種へ差別ができない時代だったが、生まれつきの頭のよさは少数者にしか見られない様に全体に比べたかしこさも、又少ない人員の遺伝的傾向の為に保守保存されていったものだった。知性の住み分けは速やかに、しかし確実に起こっている。それらの元祖は小さい様に見えるし、賢人というものの元素はあまりに僅少で失われ易そうに見えるだろうが事実は、まったく正反対だ。それらの種は必ず然るべき時点で再発し、人々の迷惑を糺し道義を語りながら豊かなすばらしい知恵の実あるいは知慮と英明を撒き続ける。もし神が十分に慈悲深い存在ならば、かれらの上に許しという原罪からの解放を与えるであろう(これは寓話だ)。そして知らぬふりをしながら知恵の実を与えた訳も、何れは明らかになるであろう。例えば、現時点の人類の知的段階でいえば「類人猿らの進化の際の突然変異」とか、それによる「生存競争の輪廻からの離脱の意思」として。ヘレニズムとヘブライズムを同時に参照するまでもなく、冷めた意識とは理性、理由、理論、いわば超認知的な神の目線を知る為の道なのだから。観照とか見るとか見物する、という古代ギリシア語のもっていた意味は事実上、ゲームの様に食う食われるの関係を続けてきた同類たちから離れた、神性や神らしさへと至りつく道のりだった。いいかえれば、古代から現代まで続いてきた世界宗教の本質にある聖の言葉もまた物思いのほか何もしないこと、アートやわざから離れて理想を追っていく独特の知覚への選択誘引の提供だった。この道は現代ではおもに学問や理論といわれているが、そのとおりに進めばやがては人類が今よりはるかに神々しさに寄った生態を持つ日がくるのは誤りない。考える人は他のどの生態より神らしさへ近づいていく余暇をもっている。
 それから、我々の時代が遠くすぎさった後でも多くの違った条件が貴方のいる社会集団を襲ってくるであろう。この際にも知恵の高い者をより有徳とするだけの理念は、その集団規模のもっている混沌度に応じて高まる筈。
 文を芸事として扱う者は、彼の理説を娯楽として以上に高めきる事ができない。同様に、いうまでもなく現世の大多数の人々を相手にこの仕事を商売仕立てにする者などは最も大事な理そのもの、伝えるべき真理というものをその記した文字のすき間にこぼれ落としてしまう。古代人の書き物は莫大な量をもっているが、全ては形式的・様式的に分類され、参照されざる無駄な冗長性の枠に納められていく。卑小な作家達の大多数は何らかの偶然によりそれらの取るに足らない文句を発表する様になったのだが、どの文事も理論のたとえであり世界観察の鏡である、という真理への情報量はごく少数の者にしか知られたことがなかった。この要はまた才能とか英知とかいわれてきた独特の知能の変異に由来しており、それこそはある時代の中でもまた全人類の形質幅にとってもごくたまにしか生じ得ないものだった。