鈴木雄介ブログ
2011年11月27日
人間と精神
われらは人間らしさとやらにうんざりしている。何でもあり、どんな堕落でも
肯
(
うけが
)
える、要はおちぶれの正当化へつかわれる語句としてのそれ、に。
精神性こそが人間や人類の奉じるべきもの。神性、神らしさは大抵にせものか、つくりごと。神性は死ぬほど知り難い。「鬼神を語らず」はここからきているはず。精神性はこころよさ、つまり共存に際した隣人としての心の快適さともいいかえられ、よって趣味主義の命題と一致している。
人間らしさは宗教化されるほど有り難くも尊くもない。ありふれているばかりか、つかいかたによっては道をまちがえつづける丈。
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