既に世界最悪の公害を起こしている東京電力株式会社を事実上免責し、発狂して夫妻ともども責任転嫁や勘違いをくりかえし、何もかもうやむやにして自身が犯した致命的犯罪も無かった事にしようとした菅直人は劣化知能についてきちんと検査しなければならず、きちんと病名(サイコパス他)とその原因を明らかにしなければいけない。より望ましいのは強制送致で一刻もはやく実権を剥奪し、官房長官が臨時の役職を兼ねる事。
特に、市場干渉の言動(原子力発電の事業そのものへの干渉、並びに太陽光発電をはじめとする事業への公然たる談合をふくむそれ)や、実際の行政機関による法規外暴威(単なる警察ではない、別の機関を東京電力株式会社の中へ挿入)を平気で行っているのはすでに事実上の無法政府か限りなく独裁に近い。
もし彼が自由主義者ではないとしても、法律上ゆるされない行政行為はすべて断罪されねばならずその思想にも正当性はあたえられない。そしてこれらは単に世論をこえれば司法にまかされる仕事で、使命だろう。
単に被災地や被災者への放置や税収悪用の利己心をあからさまに公職の尊厳を侵す等は、彼の狂態を示すほか何も語っていない。それらは(既存の現代化された日本憲政史上と見比べてさえ)、完全に菅直人個人の決して好評になりえない特殊な資質によるのだろう。必ずしも制度の悪用がみな、制度を欠陥視させるわけではない。
例えば「内閣不信任案」はくりかえし提出できる。狂乱した人物へは不逮捕特権以上の厳粛たる措置が必然である。これらをとっても、単に菅直人の悪質さがすべて日本国政の悪用をさせたのに加え、彼をとりまく与野党の中にさえそれらを暗に支える悪巧みがあるのだろう。
自民党の谷垣総裁はいつでも不信任案を提出できるにもかかわらず、震災から5ヵ月も被災した国民を無残にも放置してこの極悪役を野放しにさせていた。かの真意を推測するかぎり、政局により自らを富ませるのが国民の現に目の前で失われゆく命より大事という誤判断、悪理解。
これらを見返すと、腐敗した倭政界という事実がはっきり浮かび上がる。彼らは国民による政治、という単純な理屈さえ分からず、税収の源泉が全ての国民自身である事が理解できない。これは二大政党それぞれの執行部の寡頭化またはそれに伴う政治家の衆愚化が及ぼした結果。
戦後最も悪影響を及ぼした菅直人という負の政治家は、性悪の程からも、また民主政の本質である民意の尊重とその上に立つ議会の権威をふみにじった為に逆説的伝説であり、仮に辞任してもしなくとも現代日本史のもとで最低値を更新した汚名の記録を残しつづけている。
この人物名が我々のうえにのこしたのは、身分不相応な無謀が人類史上も希に悲惨な被災者の前で、華々しいが害しかないパフォーマンス劇場をおこなったという吐き気がする気味のわるい体験だった(彼が万一善意から他様々に努力していたとしても、少なくともそう見えてしまう隠しだてできない多くの実例を示した)。要は、悪魔というほかない。
もし再生可能エネルギー法案をとっても、ごくはやく改善か廃止されねばむしろ健全な市場競合を乱してしまいかねない不平等な悪法であって、なぜそれを大公害会社への厳罰より先にしたのか、まこと気の毒なほど混乱した重ね重ね有害な判断である。
福沢の語をひけば菅直人には「公智」、あるいは一般語でいう「思慮分別」や「判断力」にひどい落ち度があるためこれらの散々な悪影響を及ぼして少しも反省できない。この能力の欠落は、公共の職責にあって最悪の結果をひきおこす。
彼自身が自称英断という浜岡原子力発電所のみの緊急停止は、そこへの何ら贔屓されるべきいわれのない国税引く特別横流し金(さらに他の緊急や定期検査期間の延長停止中の発電所へは無補償か無視の不合理)とあいまって、長引くほど有害(なぜなら停止していても被災すれば同等の災厄に至るが経済損失だけ膨らむので)。
なぜ安全対策を専ら急ぐというその当然にさえ思い至らない劣悪な知能がまかり間違って国政の長についてしまったのか政党政治の未熟と失敗を示す事例であった。
特に二大政党のなかの寡頭化という問題は、東京・近畿・愛知中京圏といった人口飽和地域にかたよりおもねった大衆報道の偏向さとあいまってきわめて危険な状態にあり、その改善には政党への投票(比例代表)を禁止か漸次廃止していく必要がありそう。