2011年6月27日

政務と商業の絶縁論

古今の歴史や政治状態をみても、関西圏や西日本圏へ「政治機関」を移すとろくなことがない。そればかりか悪い結果がひきおこされる史実がごく多い。
天皇制度の政治機関さは既に鎌倉時代以降は存在しなかったにひとしく、唯一の成功はきわめてたちのわるく反抗しやすい九州西海地方の平定へ太宰府を置いたことに遡れる。同様の平定機関のみがかれらのうまれついた気性へはただひとつの正解であり、永続し、教育の効果と徳ある。
 よって、地方への委譲の合理さとは単に東京都一カ所についての過剰人口分散にともなう商業あるいは広域都市計画上のものでしかなく、まったく政治とは関係しない。むしろ政治都市の分散は意志疎通へ混乱や内乱のおそれをひきおこす悪因である。
ついては、『関東圏』の中、具体的には東照宮ある日光、御三家筆頭の水戸、古都たる鎌倉、これらのかかってもいまの段階で数時間に交通できる伝統的政治主権をいわゆる「三権分立」の如く、東京都の官庁と機能連携させた方がはるか理にかなう。おもうに、偶奇により皇室おわす条件から東京都の宮内庁を補佐する名目で、斯く関東圏同志へ共通の利害実権を担わせるのが最もならわしと実力に叶う。その相互のやりとりをさらに最大限詳しくし志を一致させるのが最もよい手となるだろう。

いわゆる国会機能などを出先にするのはほとんど逆効果で、国を混乱させるだけ。菅直人という逆賊臣があからさまに自らの本地である岡山県への利益誘導しか行わないのはこの最悪の前例である。おもに関西人の頭には損得勘定しかない。よって、出先機関をよこせと言うのは他より目立つ為により巨大な商業圏をもちたいとする大阪風の商魂か、その横取りで覇権を握ろうと企てる下知な名古屋風のまつりのまねごとなのだ。
 少なくとも、東北地方は現在、大変に活力を失っているのでその政治的古都である平泉や現在の主要都市な仙台への何等かの経済の機能を移植するのは便宜にかなう。それらを商業地な関西圏や悪の枢軸な西海地とはちがう首都への国権の平衡装置とするには、特別出先として計略機能だけを移植するのが合理と思える。つまり直接の機能や大規模機関ではなく重要な「頭脳」を集積させる地は、その二カ所の相互へ、緊密な連携の上移動か新設させるとよい。
 より具体的には伊達氏の例がある仙台へ国際計略を、奥州藤原氏の例ある平泉へは国内計略をまかせるとうまくいく。彼らからの提案を中央官庁が常々利用できることが祐徳である。

一般論としてさえ、関西広域連合のごとくはっきりした商業地域からの提言や方向性は、目先の損得へはてしなく惹かれほとんど逆効果、あるいは永い眼のいる政務へ害でしかないのを政治家はあまねく理解する必要がある。