2011年4月26日

倭系天皇一族の断罪

権力闘争上の政変と、明治維新という特定暴力団の乗っ取りか恐怖政治の記録、及びその後の侵略戦争への天皇家支配記録の前で起きた数々の日本史経過は、巨視すれば外部からきっかけづけられた倭系天皇家の没落過程だった。徳川家が実権をもっていた時代、倭系の現天皇家は安寧の地位に置かれ、武士から名目のみならず信仰にあたっても保護されていた。
 薩長土肥を象徴とする徳川家への裏切りを明治時代にえらんだ各藩祖は、こうして歴史の展開の前に倭系天皇家の荒廃へ力を貸したことになる。彼らの意図は徳川家の門閥支配への私怨であり(『福翁自伝』)、大義に法る処は少しもなかった。外敵をてなづける丁度いい借り物として西洋崇拝論調、そして各種の欧米思想の手当たり次第の出鱈目な引用をやってのけた。誠実な批評眼のある歴史哲学者がいたら、きっとこの認識へ共感する処ある。世界精神による歴史展開という弁証法史観は完全でも必然でもないし、主観学か主観からの特定知識への解説集でしかない。何よりそれは西洋中央思想のいいかえだし、脱構築論に至っても法秩序の解釈学説へこの西洋への従事を正当化する中心教義が普き。要は倭系天皇家が事実上の指揮統帥権力(『大日本帝国憲法』)を以て政治にあたったら、敗戦するばかりか最大級の失政記録として周辺と自国民や国土の荒廃をもちいたのが歴史の顛末で、これをおしすすめたのは薩長土肥含む南西日本からきた外様大名下の下士らだった。明治維新ときこえをよくしても、現実に行ったのは上述の国民裏切り、朝鮮総督迄へ至る伊藤博文の業や国権論に転向した福沢諭吉に代表される一層の非民主化と国政の寡頭支配かつ倭系天皇独裁化であり、それは戦後一帯へ悪疫をもたらしたばかりか、裏切り者の常套句として勝てば官軍なる俗諺を民心へはびこらせた。もしこの謬説が真なら倭系天皇は江戸鎌倉以前も俗軍の長だったのだから将軍の地位に就く等お門違いにも程がある。形式面で征夷を命じた彼らは俗軍を率いる名目などの為ではなく、単に系図の単なる長さ(朝鮮王族との混血ありし故、正統性には欠ける)を保証されているという利用価値、つまり伝統芸能式な一系祖先崇拝教祖から実権力行使の担保にされてきた。この教祖が命じたとあれば人々はその使命を帯びた人格を同じ祖先崇拝教義のもとに責められるだろう。乃ち倭系天皇の本質は、既に武士のもとにあって脱構され教祖としての日本列島辺の政治つまり市場法治系列を代表か象徴してしまう神話機能だけに限定されていたし今もそう。天皇機関説や右翼思想の元素はこの武士による国生み神話の利用法にあった。そこからみなせば左右思想間には好む行路差しかなく、単に国体論か国権論、国家哲学の枠内でしかない。こうして倭系天皇家を実質で没落させ、その自由になった分限を剥奪し、神話作用の再生をめあてにGHQのマッカーサー軍師らへ象徴天皇制を提案し通した吉田茂氏ら近代政治史上の人物は、薩長土肥他の外様の外道論、勝てば官軍という野蛮さ以外に何一つ通らない道理或いは単に極悪な非道をひいているだけで、なにも根拠や論拠はない。そして何より古事記や日本書記等の文書は単なる古文書でしかなく、日本神話か国生み虚構ものがたりとやらは俗説か民話の一つでしかない。こうして政治史をみていくと、倭系天皇には日本列島一帯を支配などできる正統さが何もないどころか、暴力団を適当に追い払ったり自身が暴力団を試みに率いてみたりして失策しつつ周辺民族を侵略か破壊してきた禍々しい事実の記録しかない。そこにあるのは祖先崇拝の狂信者一族の狂った血統の系図へ伴った数えきれない暴力沙汰や乱れきった淫行記録だけである。はっきりした真実として政治と宗教は別の機構でありそう足るべきか、そうでなくばどちらかが絶対権力で腐りきるのだから、政宗一致以外には意味も意義も意図もない倭系天皇の象徴制度には少しも徳がないばかりか害毒ばかりがある。この祖先崇拝教祖の狂った血は、必ず民衆を惑わし誑かし、独裁者やとるにたらない新興宗教の絶対権力教祖にありがちないつもの淫行、これは数々の古文献のみならず『源氏物語』で有名な倭系人の堕落しきった歪習に耽らせたり、適当な武威の権力者を傅いて善良や正義な人を抑圧や誹謗させたりする。公家の数かぞえきれぬ一般人への差別言説をみよ。『枕草子』を引け。そこには世襲独裁者の崇拝がもちいた最悪の性質が自由民間人をおかしさとしてみなす偏見がある。
 こうして象徴天皇制度、いや倭人教の祖先崇拝には公害しかなく、人々はそれを最悪でも政治面で採用すべきではないと判る。宗教面でこの歪みきった新興宗教を崇める人々には自業自得による報いがある上、法的枠内で現実には処理されるので存在そのものへの憐憫や絶えざる心底からの侮蔑以外に道はないだろう。信仰を政治史からきりはなさねばならず、しかも日本民族とかいう共同体は元々ない。国生み神話はうちあけ嘘なので、日本という国体はそのものが空想か妄言の産物であり、実在しないどころか思考や便利へ与える差し障りの方が大きい。真に重要なのは地理面で極東あたりに群れてある島嶼がかなり似た特殊な気候の中で、きわめて異なる性質の民族らかたみならわしを抱えているという事情で、それは倭人つまり奈良県の辺りに土着していた一族の嘘でまとまりのつくものでもないしまとめない方がまだよい。彼らに自由と自律、独立の領域を与えよ。彼らをいいくるめて金と労働としての税収を目的とした倭人の長である現行の倭系天皇一族の経歴をみれば、かれがいわれなき暴力をはてしなく好む悪性者中の極悪一系なばかりか、周辺國へあたえてきた誹謗中傷と差別言説、並びに抑圧と文化破壊の行状のたちの悪さ甚だしくしたがって我々はこの系統を崇拝する等は以ての他、寧ろつみかさねた罪業の末路として地獄堕ちを待望さえする。徳なき天子は国王の資格も正当さもなく、一狂信者として神道或いは祖先崇拝教なる新興宗教を代表する一員に迄格下げされ、アジア諸民族を不当に用い殺し搾取してきた永遠の罪科への償いの来世輪廻を送るべき。尤も、天命思想に基づけば必ず周辺國内にあって最高徳の者がこの地位に就き直すので天皇の系統そのものには倭人を除けば何の心配もない。