2011年2月2日

社会淘汰ののり

社会的適者生存と道徳の間には社会淘汰にまつわる同じさがある。最も単純にみれば、社会での生存への競争は道徳を以て闘われる。我々が悪人へ行う仕打ち、善人への褒め称えからはこの闘いが社会の中で競った社会行動のよさを研ぐものと分かる。
 知性が道徳へ与えた影響は、仮にも名誉感情を煽り立てたとはいえ限定的だった。之は知的に優れた人々の中にあっても道徳偏差が明らかにあることで分かる。知性と道徳が矛盾しないのは、主にそれが社会さをもつ行いに示される時だけだろう。いわば社会内でのふるまいが優れた人格の目安になるのは個々の知性によるのではなく、教養の程度による。この為に特定の知識に大幅な優れ方を示す個性が時に社会的非難やなんらかの錯誤により悪用に誘なわれることもある。
 知性が全てに勝る訳ではない。但し、知性は社会性をもつ生態にとって道徳の基礎条件を示す。そして之らの基礎条件の集積が教養としてある主体の社会行動のよさにつながる。