語り得ない事、つまり実証不可の命題か何とでも言える領域の言辞と言い草は、科学命題にとって理解可能性かその地平線を示す役割をもつ。いわば理解不能の比喩は、逆理か背景色として理解されている命題をてらしだす。所謂日常語が数理内で占める働きも同じ。そして科学系統にとって語り得る領域の従順さか柔軟は背景色の豊富さに由来する。結局哲学的か形而上命題の真偽についての公理系は、何れ善悪の標準となる常識界をつくるとしても必ず特定命題にとっての母集合の働きをするししている。善悪が場所の教養体系から導かれた倫理的中庸の謂いな訳もここにある。故一場面での善さは他のとき必ずしもそうでない。
知識の交換は、それが理念としての普遍語以外を介されれば否応なく冗長さを含む。この上でみつかる独自の規律の他にどんな道徳もありえない。場所毎の倫理命題は大きく質で違う。教養体系の異なりは、求まるべき冗長さを地柄、自然から社会までのある期間定常な環境で殆ど違和させる。道理という用語は日常語にも浸透しているが、この意味は上述の場所観で異なった倫理規律をいいあらわすのに適当。