2010年5月21日

文化学

性悪説の傾向で動いている人間は悪意を世に発見し易く、結果として悪意の連鎖へ立場はどうあれまきこまれ易い。性善説 傾向では逆が言える。これらの差は、悪人と暮らすのに慣れた集団とそうでない集団の違い、つまり犯罪的暴威を善意からの報いよりも恒常とした文化場の生育が背後にあるらしい。
 モンテスキュー『法の精神』によれば、豊かな土地の住民は侵略を最も被り易い。とすれば性悪的適応はこういう土地に規範化され易いだろう。もし痩せた土地の文民なら、彼らが協力を普段にせねば少しもいきのびえない困難な環境誘因からそこでは、他者を先ず信頼してかかる習性が優勢になるかもしれない。
 そもそも、限られた数の集団への遺伝編入の少なさはそこで現れ得る形質に有能な変化を許し難く、殆どは同系配偶の負の側面を多大にしていきそう。寛容な文化は排他的傾向のそれよりも広く地表へ分布し、又その場での一般な競争力も高い。但し、いくらかの特殊な才能つまり高度に特徴化した形質はその僻地適応の部分形として示されるかもしれない。