2010年5月13日

心理学

感情の作用範囲は主に高度な思考の隠蔽に属するらしく見える。もしそうでないなら極端に表情化される意図が見つからない。心理で人は考えを隠す技能か習性な感情の獲得形質を洗練させてきた。一つの心象は続けて真逆の表情を伴わせ易く、これは心の中身か余り知られたり覚られるのが望ましくない何らかの考えを巧みに他者の観察を欺けるからできてきた習性らしい。じかには一つの情緒は人々へそれへの同情を幾らかより伴わせる効果があり、結果自らが望む方向へ本能か意図かを問わず周囲を注意させる。赤ん坊がこの種の注意を必要として自らの本能へ習性化しているのは明らか。もし人々が感心しない表情があっても、それを世話への誘引や何らかの可愛がりへ繋げる父子か特に母子間の習性からの本能内感情反応な畳み込みはありえなかった。
 一つの感情表現が続けてその逆反応と思えるものを引き出す理由は、それらの淘がれた由来が自らの心象の大袈裟な身振りでのごまかしか偽装だったから。続けて本来の心象とおなじ表情を続ける個性があれば、その知られるのが望ましくない意いは覚られてしまう。しかし感情化によって本来の意志と違う誇示で仕舞えば自分が望む理解へ事態は留まる。
 幼児がもつ全ての利己な情緒の豊かな表情はそれが誘引となって世話やきをいざなうから尚更、世話されて満たされた欲求にとって想像される真逆の反応で補われねばならない。さもないと誘引で操作されている大人はわざとらしい反復から、単に自分が望まれた通りの行動を続けるのを疑わしくなる。要は遠回しに世話の誘引を偽装するのに適当な表情が赤ん坊の未成熟な時点で、それ以前の遠い世代から連なる畳み込みで本能にされている。哺乳類自身でも保護が有用になったのは学習行動が高度化しそうな社会性の高い群れをつくっての集団生活が基礎づけられた系統で、これは幼型化の正の側面と伴った展開だった筈。よって感情表現は集団生活の場からの要請が高い適所で初めにか殊更強くに保存された。
 感情反応はそれが偽装の技能として折り畳まれる域で今日でもいきのびている。だからその反応が様々で豊かな適所か場所では、一般に何らかの内面化した行動規則の偽装の必要さが他の平淡な社交界に比べて高い。
所でもし幼な型化の正の側面がここへ有効に働けば、その種を容れた人類はより複合な社交界を形成しがちだろう。逆に負の幼型化な極度の僻地での感情表現の特殊化が進んだ場合、他のより多彩な種との進化していける方向づけへの交配可能性を大幅に狭める中でそれらは祖先種の情緒反応がどういう類の物だったかを保存するか相応に気短に折り畳まれ変形されつつも化石化する筈。そして暫々他の系統から延長した種と全く違う、共有化するに十分でない情動に留まったか変形が極度に進んだ時その集団は以前の社会とは隔絶して異種と目されるのが適当な生態へ納まる。これらの生態流れから導けるのは、感情は社交技能として適所毎に誘因面で異なる影響下にあり、又別の社会性と似て変化する粘りをもつ場合があるという事。要は文化習性の一種。人類以外の生物社会へ心理や文化という用語をあて得る観点は幾つかの信教原理から反発もあるだろうが、学識面ではその転用が有益なら我々の宗教とは別の考えとして保持する方が何れ賢いと思われる。