言葉の適度さはみな順列内の知覚による。∴知覚∈審美感覚。審美感覚は狭い知覚をとぐ。この知覚は母語系にとり先験的。
写像関係は言葉の知覚集合を母語系へ向けとぐ∴写像さは知覚集合の順列規則へのくみかえ已←→順列規則は不動∧∧母語系の代替⇒写像関係は知覚集合の補集合∴母語系は写像の分かれ。
写像は
(言葉∪文語∪口語⊃発声⊇文字∋発音記号)⇔言語
に対して
言語⊃主観⊇境
∴主観は言語と分かれう∧口語が即主観¬→境は言葉を写像内に持つ。
現象学というあやふやな体系は境の主観との勘違いでしかなく、それらには共通集合も含まれるが同一¬→主観論に戻る。⇒主観論は理念論述の才を自己目的化した非対象論か形而上学なので他の語学体系内に育まれえない。