民主政ではそれが少数者の専制を避けう工夫で、なお最も中庸な性格を衆目の一致で選ぶ傾向がある。だから安定性と衆愚に至る扇動弱さは、この中庸さの利害に同じ。
貴族政は選ぶ者を限っているので、既に初めから中庸の選択誘因は弱い。逆にそこでは寡占の用いる選良さが大多数の利害を省みない点で、どちらかといえば変化を嫌う部分が生まれる。
王政では極端へ振れる。そして僭主の危うさは絶対主義のそれに同じ。
これらは、同時に特性を組み合わせう。結局、時と場合、そして方式の使い分けで我々はこれらのどれかを特別に最善とみなすのが賢明でないと分かる。つまり重要なのは政治方式の組み合わせ。夫々の方式は必ずしも固定していないし、又それら相互の兼ね合いには細部にわたってごく複雑な多彩さがある。だから時代状況にこたえてどの新たに適切な方式が摂られたか、又歴史知としてのその分析が要る。
所で間接民主政には選挙区制度が入り込む。この為、比例代表が噛むと選挙区制度は実質的な貴族政へかなり近づく。政党の立場がどの有権者を支持層とするかによるので。或いはこの制度によらねば間接民主政はいわゆる人気政治に堕するかも。故選挙区割の細かさが支持層の複ね合いに及ぶ程、その間の利害調整の複雑さの為に、あおりに免疫ができると言える。つまり選挙区割の適切さは支持層ができれば違う生活態度へ起因する幾つもの区域に分けられると効果をもつ。大衆に比べ高度とよばれるだろう判断力か理解をもつ人々の結託か集合視のできる区域での比例代表が、そうでもない所からの選出よりも発言権でもどちらかといえば多数派でない考え方を維持できるなら、それは実質的には選挙区型貴族政と呼んでいいかも。つまり選挙区への何らかの観点から比例した選出方式がその民主さか貴族さかへの偏りに繋がる。
もし受勲を含む身分や公卿の考慮が内閣制度の組み立てに加わると、この仕組みはかなり実質的な王政、いいかえれば側近政へ近づく。側近政がまかり通ると確実に、その利害は超少数派のものに限定される。だから一般に側近政は大衆民主政と最も遠い。この仕組みは超少数派の為に大多数を犠牲にする点で、かなりの高貴な義務の余地がいわゆる象徴の光の為に裏付けられがちな僭主政よりさらに堕落し易い。但し、利点があるならそれはこの側近が極めて高い理解の持ち主であった場合、公的理由に囚われず王政の本質を維持できる所。従って側近政が一層のこと合理化され易いのは世襲の王権を認める皇帝政の基盤が存在している時だけ。そして象徴皇帝政の場合、この側近は回ってこない行政機能を失って身の回りの世話しかしえない侍従化する。故に象徴皇帝政下での側近行政は実践されることがよほど希だが最も危険であり、それが行われると先ず国は絶えまないあらゆる行政実務面で正確な判断をできず、滅亡へ漸近する。
選挙の政党毎の寡占化が進むと、支配的政党と以外に別れる時がある。しかし支配的でない政党にかなりのばらつきがあると、更にこれらは連立を組む場合がある。この連立政はより大衆政治寄りの政策を、主に支配的政党への対策のため、代表し易い。
対して個人が無党派として一挙に支持を集める時がある。これは間接王政に繋がり易い。一般にこの人物は擬似君主を名乗り人気に乗じた独裁者となる。そして更にこの堕落傾向は、側近政を兼ねる時もっと急速になる。しかし極めて急激な政策転回を要する場合にのみ、この方法は最終的責任者を一人へ絞り込める点で利点もある。