2010年3月13日

在日米軍再編の計略

茨城空港は、現知事が述べていた様に国の空港でもあると位置づけると利用価値がとても高い。

不況を逆用し、既に整備された大規模な更地が余っているという恰好の状況は、そこを再編米軍基地のキャンプベースと考えれば神の采配があったかの如く、最小費用でのニューディール的な公共事業モデル敷地と見なせる。
我々の思いやり予算を削減しつつ、今後とも周辺要地をキャンプシュワブとして安価で提供する契約をとりつければ、それはLCC(Low Cost Career/Carrier)での新たな財投モデルと考えていい。なぜなら海外企業(国家単位の税収企業視も含む)の自主的呼び込みによる開発費はどう考えても不足してしまっている国費をみたび用いるより安上がりに済む。

 唯一の懸念は土着化したヤンキーの暴走だろうが、私の歴史を見る目が正しければ茨城県民の基本性格は保守的であり、またその一端は御三家のコアというべき水戸徳川家の血統があるからだが「武家作法」を最も尊ぶところがある。
いいかえると、茨城県民が自衛隊兼用となった現空港付近の土地へ米軍基地の強大な武力をも摂り込むとしても、それをたとえば薩摩や長州や土佐の様な中央政協調へは反抗的な地方風あるいは公家作法だけを貴ぶ京都の様に、想像できるなんらかの国政否定へ向けて悪用するという未来は考えにくい。
彼らは武家の義理に則って、飽くまでもそれを忠実に運用していけるだろう。そして土地の風に呑まれゆく米軍基地内外のヤンキーらも、必ずや日本国の保守保安及び『尊皇攘夷の核』を担うのを義務と考える様、やがて民から逆説的に感化される筈だ。
 沖縄県民は彼らとはまるで違って武権をよびこむことをちっとも有り難がらないので、米軍が地霊を無視してあたり構わず基地を力建させたいのと違って、そこでは楽天的な南国気質によって弱い威力しか決して得られはしない。
だから沖縄米軍が今後ともその場で威厳を得るのは難しく、県民からつねづね詰まらない排斥論をなげかけられる始末だろう。