2010年2月20日

文明生態学

人類の文明が唯一つの文明らしさではないのが明らか。これは人類の感覚原理が特定の場の条件へ大幅によっているところからも。→文明色は違う生態へも系を恵む。生態系の重なり論は当然ながら文明色の間へ一定の学識を与えう。これは非法則地位も考えに入れてかなりの確率的幅をもつ。感覚原理の理論は主観がなくば法則さへのきっかけがないこと、つまり特定の感覚原理、その一つは人間の感覚原理とよべるだろうが、からのえり好みが法則さの基調となると示す。文明色はここへ次の光を当てる。生態系はその極相化しきった支配種の間で自己僻地化か内部選好の連続した変形の中へのみ、法則観への世代を跨ぐ言い伝えへの条件づけを行う。このため、知性と目される才能はほぼ生態系がとても安定していた時期の蓄えに他ならない。神のみ知性を与う、とはこの条件が幸運も含み、偶有的でしかも確率としては希なことを教える。無論この広すぎる世ではこの確率は膨大に膨らむが、対して特有の知性に限れば感覚原理の傾向がほぼ同等を除く唯一回さをもたないとはいえない。なぜなら自然界の不可逆反応は文明色についてもかなりの基盤差を常とするのだから。
 文明が互いに隔たっている程それらの感覚原理への共有の余地は少なくなりがち。だが比べ対称さで想えば、裏か反対側の居場所ではこの原理は何らかの類似をもつ。ジオイド、もし宇宙規模でみれば(大変な膨らみと歪みゆきの複雑さから)このお餅は、偏った銀河系も定まり続けないことを前置きとす。流れがあるので、それらは引力と、巨視すれば外部系から引かれる斥力の間で移り続ける。恒星燃焼の先行きもまた流れのさなかにある。
文明の恒久しさは引かれ続ける逆二乗則なりの各混沌化への背きに求まる。ゆえ一文明が久しさについての永久観をもてはしない、少なくとも土着文明では。
 星外交渉か親交の内に一つの土着さは別のそれとであう。がここには所謂やりとり用の配列基がある共有さをももつをう。ゆえ記号のみならず最小の単語が、先ず共有されるをう。この情報量は、事実上既存の文化率をもとにする。星の外との交わり渉りの真の意義は、それが感覚原理の拡張へきっかけを与えること。感覚は環境から抽き出した何らかの特徴ゆえ、この原理のくみかえはおもむきごのみの面からも以前とはことなる変りばえへの始め。