空気の澄んだ所では夕焼けの色が最も濃く鮮やかに現れる。同様に、日常の各現象を鮮やかに刻み付けるので郷愁の感情や、それに伴う回帰現象をもある程度成育後の心理へ保存させる傾向がある。
対して、商業誘因となる人口密集にまつわる高い湿度が常の場所では人間活動が烈しく、乾燥の時は活動が少ない。温度が低いほど人間活動は平淡になる。これらは職業への選好や土地柄を別の方向付けへ誘う主要な理由として、最も原理的には上述の回帰現象を帰巣誘因化し各種生態の内へ内在させがちである。
絶景のある所では独特の生態がはぐくまれ易い。人為の入らない自然が開発され壊されているほど、その場の人間性は頽廃か退化の傾向をもち、逆のときには健全または特に伸ばされた天分を育てていく。既に開発された場所では、人口流出の結果によってしか人心の復興や回復は起きない。従って最も特徴となる形質を淘汰か選り好み易いのは完全な自然状態からある程度の人家や人工化が入り込んだ時だけだ。古代文明のあった地方の観光地化は、その元々の気質を偽装化とか芸能化させて温存か不自然に延長させ易い。
人口流出の原因はその場が進歩した生態の為には手狭か不利になったことによるので、ある段階で大幅な人口流入を伴った適所は何れ寂れるのか、上述の開発飽和効果によって過剰に変形された、或いは奇形化した変性を余儀なくするだろう。
もし生態論からみて天稟のゆたかさを育てたくばこの開発飽和の限度を何らかの指標で測り、それの以下で避けるか退ける工夫がいる。よって人口密度は場所柄によって文化生態論の立場から考究さるべきで夫々に違う値がある。原則的に、景観の中に存在する美意識は帰巣誘因化によって最も記憶され易い。この為に、移住の文化比較はつねに開発飽和の原則を何らかの抑制した地政計画で実行させるのには必須かその立場への教養となる。一般に、又多くの場合は温帯付近の自発速度で、放任した自然は環境を自己本来の姿へ還す能力をもつ。土地生命力は地帯混沌度として数理化しうる。
S=Ap log e
の数式でAp: Area productivityを地帯生産性、e: energyをそこへ起きる熱反応の総量だとすれば、S: 慣習的記号としてのエントロピーの対数は土地生命力の乗数に比例する。地帯生産性は多くの場合は雨期の質量によると仮定すると、開発飽和限界は特に乾燥地帯では指数法則に逆比例して低減されねばならない。つまり、最も理に適った生態論上の配置図には、もしそれが自然と社会に及ぶだろう測量原則に従えばかなり大幅な人口密度の偏りがいることになる。
特殊変異を巨視観で避け単に降雨量分の高温度というかなりすみやかな眼差しで、少なくとも地球生態を観察すればこの偏りとしての土地生命力は否応なく、一応の生態環境の計画原則として底流づけられているとみていい。よりわかりやすい論旨に直せば、繁多な環境はより密度比を高くする誘因をもち、静寂についての逆もある。それらの偏り方はとても極端で、しかもさらに極端になる様に生命力は造られている。我々がここで知りうるのは社会系そのものは宇宙形態としてもとても法則的であるという理由だけだ。