2010年1月25日

社会生態学

複数の社会関係が錯綜した結果、彼らの利害がぶつかる原理はそれらの結末をより重複化する為だけ。文化面でも同じ。ゆえ社会関係の外にいかなる利害もなく、その複合型たる道徳や善悪もない。つまり全社会性は一途に利害解消を理とす。社会性は智恵を喚ぶ。知識間の絡まりは複雑な利害関係に及ぶ程つよい。即ち、脳容積比率が最も適応要因として取り立たされ易いのは社会性の高まった所。でないとその誇大化は奇形視されがちで寧ろ節約されてしまう。智恵を使わないで済む場は脳を軽んず。
 符号化は定格に社会性の一摘みを宛て、思考や試験を省く。ゆえ符号化理論は社会定型の合理化で、その役割は既にある業務の効率上げ。もし定格外の才能なら当然、既存符号では染めえない。利害をみて既存の社会定型を効率化しようとした時、又この規格を全体主義に格上げしたとき社会性は進歩の為の独創力を自ら失う。よって複合した社会であればあるほど、符号化の適切さは負担化理論の側面をも担う。一筋縄では行かないという言葉は智恵が、知識とは分かれた機能であり社会定型の複合を前置きにすると示す。これらは、知識の規格が必ずしも進歩の論理と合わないばかりか、社会性の利害に省みると負担化の面を社会的進歩として規格づけられる論拠になる。但し、効率面では常に符号化は利用されるべき。この理論の利点は、検証を省くのに既にある社会性を援用できる所。故利害の上に全体主義の回避を行うには符号化の正の側面、つまり業務効率の機械化に独創性とは別の回路を宛がうのが巧い。
 個々人の利害調整を模倣の領域で走らせるのに符号化は最適。ゆえ符号化差別そのものは法的に規制された方がいい。なぜなら負担化傾向とは異なり、この差別は独創性という既存路線と違う変異を排除したがるので、業務効率は上がって行くが決してその線路をこえた進歩を社会内にもちこむ習慣を守る事はない。我々が企業やそれにもまして政府という全体調整企業の行う符号化差別を放置し続けるなら、その社会からは独創力という全く既存とは違った道をつける才能が抑圧か淘汰され、次第に凡庸で取るに足らない変異の群れのみ生き残ることになる。結果、この社会はより力強い進歩を果たす別の生態や社会から搾取か侵略される。この必然性は歴史がより自由度の高い生態を集団として擁護してきた生態学の知見と、社会生態の実際を重ね合わせている。
 社会的符号化は有用だがその閥としての増長が公に正当化されたり既得権益と呼ばれる古巣となりそうなら、できるだけ早期に規制か罰則でこの固定観念を公に壊した方がいい。そうすることは、社会性面からみて独創力を凡庸の模倣よりも尊ぶ誘因になり、結果として凡庸一般の取るに足らず慣れに基づく機械的技術でいずれ誰でもできるただの業務効率に対する、精神労働といわれるべき世界でも希有にして唯一無二な発明発見の才能への抑圧を多数派に回避させる条件づけになる。機械はほぼ無限に複製可能だが、才能というものは遺伝子と文化素のくみあわせに依存するものであればあるほど一度うしなわれると二度復活できない。つまり、すでに公認か認知されている社会的符号は複製可能性のもとにあるが、特殊な才能、いわゆる独創性は何らかのまれな生育条件でのみ生じた生態学的突然変異に他ならない以上、限りなく唯一回的でその成果は決して他の条件のもとでは生まれないのでより或いは遥かに貴重。尤も独創性にも諸種あり、このうちより情報量の高い変異をより希少とみなすのは利口だし原則的。この量は決して既存の符号知識に還元されるべきでなく、常に新たな指標でできれば複数設けられた方がよい。