2010年1月18日

地政学

長野の人は緻密すぎる性質を異常だと感じない。徹底的に内陸部の生活では、そこで起こる現象の異様な迄の代わり映えなさから、普段とことなる細かな違いをもいやでも見分けてしまう。しかし港町、特に横浜や神戸や長崎など新興地域であるほどこれとは逆のこだわらない性質が見当たる。但し、横浜では流れ者たちの装いの軽さ、神戸では歴史の浅さからできるだけ目立つ行い、長崎では南方風土らしくあきらめの早さに転化される傾向がみつかる。
 東京の人はお金の問題を殊更強調しない。武家政権の伝統と政治界へのぶら下がりの商道徳は下知より上智を、或いはきわめて恩着せがましい羽振りをこまかな損得勘定よりもとうとびがちなところからか。同様の観点は武権のつよかった土地柄、たとえば水戸や仙台や尾張などでも別の既存の特徴と共にみあたる。即ち水戸では雄藩気質の極端な面が、仙台ではその劣等感からの虚勢が、尾張では排他的なまでの自信の誇示が。しかし大阪や京都、及び武権に関わっていてもより関西圏に近い紀伊では逆の性質が普くみられる。つまり公家社会への依存がつよかった地域では損得勘定が道徳意識より遥かに発達している。さらに、京都ではこの性質はとても激しい裏表の態度差として現れ、同様のたちは影響圏として北陸に近づくにつれ陰湿さや雪国なりの粘り強さをます。
 これらの少ない例は、にも関わらずかなり身近な地域についての実際の法則だった変異から鑑み、諸国政の気候風土との混ざり合いによりその地方の風俗を変える可塑性が十分あることを予見させている。
 ちかく西洋諸国の性格の大まかな差は、変異の平均値をとれば一定の類型で数えられるほどこの予想知に似ている。たとえばイギリスでは極端な文化集積の偏りのためイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの間に連邦以上の民族性格差が観察し易い。順に、過剰な知力、天然呆け気味、がめつい意欲、感情的というおおざっぱな類型をもっていそうだ。これは入植と史実が地域毎の進退を仕訳た理由でもあるかもしれない。ドイツとフランスとは内心で敵対的だが、ドイツは理性にフランスは情緒にその解消を求める傾向がある。これはゲルマン民族を母体とした帝国史の覇権意識と、ラテン語族系の王宮文化とが対立や混淆するがゆえ。そして各々の国民性も無意識であれこの規律を、出自の同一性に免じて採用しがち。一般に、フランス社会では母系の道理が、またドイツのそこでは父系のものが正当化されたり強調され淘汰されゆく。イタリアの民族性は他の西洋地域より幼さか浮薄に傾く。良い意味では未熟さだが、これはかれらの偉大な遺産が同時に、勤労より所得をえり好み易い社会誘因が有閑気質を他のどの国にあってより成功させているから。オランダではこの向きは商圏に、スペインとポルトガルでは冒険と野心に、ギリシアでは自適に、北欧諸国では歴史の浅さから無理やりな権威づけに傾く。スイスやルクセンブルクでは狭い国土の土地生産力を補うための金融業優先に伴う経済力の過信がみいだされ、特にスイスではそれは殆ど牧歌的なまでの新興企業誘致に至っている。ポーランドでは学問への卑屈な態度が染み付いている。オーストリアには王権への尊崇がイギリスよりも強くみつかる。またトルコにはこれらの殆どの要素が混入しつつ、ヨーロッパの強国に対して結局一つになれない。
 将来は推して知らずばこれらは日本の例と同様に、社会場にも系統発生が当て嵌めうるかなりの、ひろく観察できる事情らしく見える。そして民族が地域一帯を国有し、その開拓と耕作で夫々のざえを栄えばえ示すならどれもあるいはまことに麗しい事でもあり、だがおそろしいまでに国民が土地の子であるのもまざまざと示す様だ。まったく宗教的見解を抜きにしておもえば、イスラエルの国民もかれらが国土を建設する内にはべつの性質を獲てまた自らの発生史に記憶していくだろう。現今の南部朝鮮半島については、5つ+αのおおまかな類型がみつけられる。まず北側と南側とでは人工化の片よりがある。よってソウルを中心とした北側の方が文明化率が高い。さらに、北側のうち、ソウルの属した1. 京畿道は先進的、2. 江原道はそこが都市化に遅れたことから後続的。南側のうち百済を起源とした南北の3. 全羅道はおそらく対馬外交時の経験則からもたくみさ、特に南側では怜悧を通り越した狡猾さを含む。対して新羅を起源とした南北の4. 慶尚道ではいわゆる近代化潮流への縁の遠さから古きよき郷民らしさがみつかる。しかし同時に朴正熙政権以来の独善で、とても重工業化の進んだ沿岸部(南部に著しい)と遺跡の多い慶尚北道ではこの性格は、以前よりもよかれあしかれ極端になっている。中間地帯としての5. 忠清道はとりのこされた両班気質特有の鈍感さともちこされた固有の徳目をもつ。この傾向は内陸部である忠清北道の方が強い。孤島としての済州道は開放的。